やまねこの物語

日記 いろいろな国の人たち
ドイツにはいろいろな語学学校がある。一番有名なものはゲーテ・インスティテュート。これは世界中に進出していて当然日本にもある。ドイツ国内だけでなく世界中にあるから、ここで取った資格は色々な機会に使えたりする。でもここはどちらかというと、旅行者向きである。旅行者、例えば、大学生などが夏休みや冬休みを利用してドイツにやってきて受講する。最初僕もこうやってゲーテに参加した。でもゲーテは受講料が高い!で、旅行者じゃない人、例えばドイツに家族が住んでいたり、また、ドイツにずっと住みたいという人にとってはゲーテでなく、その街の公的な語学学校に入学する。こちらの方がゲーテに比べるとかなり安い。ミュンヘンにもミュンヘン大学外国人コースというのがあり、主に大学進学を目指している人がいっぱいいる。また音大などの専門大学に通いながらここでドイツ語を勉強している人がたくさんいる。ドイツ語を母国語としない人がわんさかいるのである。

僕はこのミュンヘン大学外国人コースに申し込んだ。ミュンヘンでは人気があるところなので、すぐに入学ができるわけではなく、数ヶ月待たされる場合が多い。僕も2ヶ月待ったが、とにもかくにも僕のドイツ生活が始まった。語学学校最初の日、朝早く起きてクラス分けを見に行った。僕は午前中のコースに申し込んだにもかかわらず、定員が一杯だったようで、勝手に午後のコースにされていた。そのほか、名前の横に国籍も一緒に書いてある。僕のクラスを見ていると、日本人は僕一人だけだった。ま、その方がドイツ語の勉強になるか、と思ってクラスに入ったのであった。

クラスには様々な人がいた。名前を思い出してみよう。マルガリータ、アレクサンドラ、ニーナ、ミルダ、モニカ、カレット、アレスクラー、シン、マッシモ、クラウディア、オルガ、ジーナ、ナージ、クロメガ、ライアン、ヤヌス、クリスチャン、チョウチョウ、ジュディ、エミー、マリッサ、カティア、リディア、サシーシャ、そして僕。それ以外にも何人かいた。でも途中で他のクラスに行ったり、来なくなったり。おそらく全部で35人くらいいた。外人ばっかりだ。いろいろな国の人がいた。日本、韓国、台湾、中国、インドネシア、アメリカ、スウェーデン、トルコ、ブルガリア、マケドニア、グルジア、スペイン、イタリア、ギリシャ、ポルトガル、トーゴ、ブラジル、ペルー、ガーナ、イラク、ヨルダンなど。なぜかドイツ人もいた。さながら国連部隊のようだ。

でもこれだけいると色々な人がいる。みんな自分の国のアイデンティティーを持っているように感じた。先生も授業を進める上で、注意を払っていた。例えば、台湾出身の人に中国人と言わないようにするとか、また旧ユーゴスラビアや旧ソ連についても同じだった。先生が何度か間違えてしまった時、それらの国の出身の人はすぐに自分の意見を言った。何度か授業が中断したことがあった。日本人の僕にとっては、それほど大きな問題ではなかったが、彼らにとっては大変重要な問題であった。

そういえば、ヨルダン人のカレットに「ヨルダンってどこ?」と質問したら彼は「ヨルダンは東ヨーロッパ」と答えた。確か僕は地理の授業で西アジアと習った。でも彼にとっては、アジアの西端ではなくて、ヨーロッパの東端だった。またイラク人のアレスクラーと話しているとき、インターネットの話になったが彼はインターネットのことを知らなかった。マルチメディアという単語すら知らなかった。やはり国で(彼の場合イラクで)、ある程度情報規制されているからだろう。インドネシア出身の人も、自分の国の人はインターネットを知らないと話していた。彼は「インターネット?日本レストランの名前?おいしい?」と聞いてきた。これは、国が先進国、発展途上国とかの問題ではなくて、やはり情報量に問題があると思った。

日本や台湾、アメリカは情報量が多い。情報が一人歩きしている。洪水のように。それとも国民性の問題だろうか。ドイツではそんなに情報が氾濫していないと思った。いずれにしても日本はおかしな国だと感じた。日本にいるとありとあらゆる情報があり、自分がどれを信じて、またどれを選択していいか分からない。ただ単に「多くの人が選んでるから」という理由だけで選んでいるかもしれない。こうなってきては自分というものが見えにくくなってくる。ドイツに来て最初に学んだことは、自分というものを意識するということだった。

(2000年1月上旬 ・ 2月13日写真追加)
語学学校前 語学学校のあるアーデルハイト通り Adelheidstrasse
教室 語学学校の教室
 
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