やまねこの物語

日記 大晦日
今日は2000年1月23日である。半月以上も経ってから昨年の大晦日について書くのは、ちょっと気がひけるが書きたいと思う。僕は1999年最後の日の夜、友人とオペラを観に行った。観たオペラはヨハン・シュトラウスの「こうもり」だ。この作品は舞台設定が大晦日ということで、大晦日に催されるオペラの定番になっているらしい。それに千年代最後ということもあって、友人が言うには普段の大晦日の舞台とは少し違ったプログラムになっていたようだ。特別プログラムだったせいか、4時間30分もの大きな舞台だった。おまけに色々な付録まで付いてきた。小さな香水などが入っていた紙袋で、いわゆる福袋みたいなものだ。その上、舞台が終わるとシャンパンサービスもあり、またそのグラスも持って帰っていいということだった。そのグラスには“1999-00 Bayerische Staatsoper”の文字が入っている。非売品である。舞台と客席とを一つにした素晴らしい公演だった。もう一度観てみたいと思う。

オペラが終わってから友人と街の中心部マリエン広場まで歩いていった。2000年へのカウントダウンでもあるかと期待していたが、それはなかった。そのかわりかどうか分からないが、ものすごい数の花火が打ち上げられていた。大きな花火から、小さなロケット花火まで。線香花火を持って歩いている人もいたし、ネズミ花火で楽しんでいる人たちもいた。街中花火ですごい音だ。その上そこら中で爆竹をならしている。日本だと大晦日の晩は、若い人は遊びに行くことが多い(と思う)が、一般的に家にいることが多いと思う。その後日付が変わってからか、明け方に初詣に行く人が多いと思う。でもミュンヘンの大晦日は30万人の人出だったらしい。子供から老人までたくさんの人が出歩いていた。

僕と友人はそのあと、日本のような大きな打ち上げ花火をやっているオデオン広場まで歩いていった。人の流れはそこに向かっている。ものすごい行列だ。僕たちがそこに着いたとき、すでにその大きな花火の打ち上げが始まっていて、僕たちは端っこから覗くといった感じだった。でも大きくて綺麗な花火が、すごい音とともに光り輝いていた。みんなその花火観たさに、オデオン広場に集まってきた。でもその場で花火を観ている人は、その場から動こうとしない。花火が終わったとき、あまりに多くの人が集まって来ていたので、ついには、その人のかたまりが勝手に動き出した。まるでダムが決壊する瞬間のように。

僕たちもその波から逃れることが出来ず、勝手に足が動いた。今まで経験したことのない人の流れだ。日本の電車のラッシュでもこんなことはない。人の流れが無意識に進んでいるといった感じだったので、当然、人と、はぐれてしまって泣いている人もいる。泣いていても足を止めることは出来ない。僕たちは地下鉄に乗りたかったのだが人の波がそれを許してくれない。その場で立ち止まることも、また横に行くこともできなかった。その人の波は街の交差点に入ると勝手に曲がる。人の波が一瞬崩れたその時に、僕たちは波から脱出することが出来、道の端に出ることが出来た。ここには波がない。歩道は普通に人が歩けるのだ。といっても普段よりもその数は多いのだが。街の大きな道路、普段、車が入ってくるようなところが、歩行者天国のようになり、そこで人の波が出来ていた。

果たしてこれは今回だけのことなのだろうか。毎年こうなのか。それとも千年代最後ということでみんな盛り上がっているのか。日本人の僕には分からない。でも日本で、このようなことになったりするのだろうか。例えば、人気のあるアイドルがいて、それで人の波が出来るかもしれない。でもその場合、その人の波は同じ年代の人が集まっていると思う。でも今回、ミュンヘンで経験した人並みは、子供や老人、ほとんどすべての世代がいた。小さい子供もいた。とにかくすごかった。で、僕は思った。1980年代や1990年代、東欧の国が次々にソビエト連邦から離れ、(少なくとも表向きは)自由な国となった。そのソ連も崩壊した。当時、テレビの映像を見ていると、街の大きな広場には何万という人が集まって集会をしている。ドイツのベルリンの壁が壊れたときもすごい数の人だったようだ。きっと旧東側の人たちは波になっていたに違いない。目的を持っていたため、その人波も想像できないくらいすごかったと思う。でもうまく表現できないが、僕はそのパワーみたいなものをほんの少しだけ体験した気がする。何となく歴史を肌で感じた気がした。

(2000年1月23日)

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