2003年6月29日(日)に駅フェストというイヴェントが催された。場所はミュンヘン・パージング駅からヘルシング駅までの間の各駅、つまりこれは近郊電車(S-Bahn)の5番線に当たるが、この区間の100周年を祝ってイヴェントが催された。ちょうど100年前の1903年、この路線のバイエルン王立鉄道が開通した。イヴェントは各駅それぞれが独自のプログラムを作っているが、このイヴェント最大のプログラムとして同区間を特別列車が走るというものがあった。パージング駅からヘルシング駅までは電気機関車が、ヘルシング駅からパージング駅までは蒸気機関車が走り、それらは木の座席が付いた三等車を引き、これがその日同区間を3往復するというものである。
というわけでSLに乗ることが出来るというので僕もパージング駅に向かった。1番ホームにヘルシング行きの電車が来るというので、多くの人がその場でSLが到着するのを待っていた。暫くするとSLのポー!という汽笛が聞こえてきて列車がパージング駅に入ってきた。が、列車は何故か8番ホームに入った。急いで1番ホームから8番ホームまで行ったが、既に列車内は一杯で、もう乗れません!という声が列車から聞こえてきた。空いている場所を見つけて半ば強引に乗ることが出来たが、駅のホームは乗ることが出来ない人で溢れていた。僕が乗った場所は座席のある客室ではなく、車両の連結部分に当たる、立席
Stehplatz で、そこは定員10人らしいが、それ以上の数の人がそこには乗っていた。
列車が動き出した。パージング駅からヘルシング駅に向けては電気機関車が先導する。速度はどれほど出ているのか分からないが、おそらくそれほど早くないように感じた。しかしとにかく列車が揺れる。現代のレールでこれだけ揺れるなら100年以上前ならもっと揺れていたかも知れない。連結部分は人が多く乗っていたが、風が非常に気持ちよく吹き、立っていたにもかかわらずそれほど辛いとは感じなかった。が、客車の中を見るとそこは窓を全開に出来ない構造らしく、人が多く非常にムシムシとしていた。100年前も客車内は人で一杯だったのだろうか。
列車が走っているとき、その特別列車を一目見ようと、いたる所に人が集まっているのが見えた。道路や家のベランダ、畑などに人がいて列車に向けて手を振っている。列車に乗っている人もそれに応えて手を振っている。酪農場側を通るときは「牛〜」と声を挙げながら牛にまで手を振っている人達が車内にはいた。また列車が駅に停車するごとに、歓迎(バンドの演奏や空砲)があり、駅によってはラッパで発車の合図がなされた。ところで列車は幾つかの駅に停車したが、降りる人は少なかったので、そこから乗ろうとしていた人の多くは乗ることが出来なかった。
列車は少し遅れてヘルシング駅に到着した。この列車がパージング駅に向けて折り返し発車するまで約50分あったが、僕はヘルシング駅前で開かれていたフェストを覗かずに列車の写真を撮ってそのまま座席に着くことにした。先程(パージング駅)でのように人が一杯で乗れなくなってしまうと困るので、そのまま乗っていることにしたが、同じような考えを持った人も多くいて直ぐに座席は埋まってしまった。
ヘルシング駅からパージング駅まで、先程の列車を今度は蒸気機関車が先導する。僕の横にはかなりの年のご老人が座られたが、いつしか「昔は〜」という話が始まっていた。独り言かそれとも話しかけてこられたのか、よく分からないうちに蒸気機関車は汽笛をあげてゆっくり動き出した。そのおじいさんが、よく子供が真似をするように「シュッ、シュッ、ポッポ、シュッシュッポッポ、シュシュポポッ」と口真似をされていたが、その音のように列車は動き出した。それと同時に彼は窓を閉め、日本でもその話をよく耳にするが、蒸気機関車が走っているとき、特にトンネルに入ると、乗っている人や沿道の洗濯物が煙で真っ黒になるとの話をされた。確かに窓を開けていると煙い。おじいさんは駅に停車するごとに窓を開けておられた。
そのご老人は途中下車されたが、どこかの駅で全く見知らぬ人が、「これを記念に」といった感じでビールのマスジョッキ(1リットル)と『パージング・ヘルシング、1903-2003』と刻印の付いた記念バッジをいきなり僕に手渡した。呆気にとられている間にその方は降りて行かれた。
今回の特別列車はその列車が走っていた当時を感じることが出来て面白かったと思う。ただ毎日使うものなら、やはり現在の電車の方が快適である。ところで今回使われた蒸気機関車の側で汽笛を聞くと思わず耳をふさぎたくなるくらいの大きな音がした。蒸気機関車自体はそれほど大きなものでも小さなものでもなかったようだが、改めて蒸気機関車の力強さを感じた。中でも個人的に一番圧巻だったのは他の蒸気機関車(確か当日はニュルンベルクからも特別列車が走るとのこと、それは中止とも聞いたがいずれにしても他の蒸気機関車が走っていた)と、自分の乗っていた列車がすれ違ったとき、相手の方が大きかったという理由だけではなく、力強さ、重厚さ、凄みのある迫力など上手く説明出来ない非常に大きな威圧感を感じた。すれ違ったのは一瞬だけだったが、蒸気機関車の開発は技術力を示すことはもちろん国家の威厳さえも代弁しているように感じた。
その後列車は随分遅れてパージング駅に到着した。この到着した列車は直ぐにヘルシング駅に折り返す。パージング駅にはこの列車に乗るため、待っていた人がホームに溢れていた。列車が出るまで僕もホームにいて写真を撮っていた。大きな汽笛をあげて列車が動き出した。僕は片手にビールジョッキを持ちながら、その列車を見送った。
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