やまねこの物語

日記 ルートヴィヒ

先日、大学近くのカフェで友人が来るのを待っていると隣のテーブルに座って話していた老人2人の声が聞こえてきた。内容は分からないが、どうやらルートヴィヒなる人物について話しているよう。ちょうどそこに彼らの友人であろう人物が現れ「どのルートヴィヒのことだい?」といった感じでテーブルに着いた。その時、カフェのドアを開けて入ってくる友人の姿が見えたので、自分(僕)がここにいるという合図を送った。そのため横のテーブルでの会話を聞きそびれ、どのルートヴィヒのことか僕には分からなかった。

ルートヴィヒという名前は歴史において本当に多い。手元にあるバイエルン史の本の索引を見てみると歴史に名を残したルートヴィヒが24人(ヴィッテルスバッハ家に関する本では名を残したルートヴィヒの数は27人)もいる。現代のドイツ人にとって、また日本人にとって最も馴染みのあるルートヴィヒは「メルヘン王」と呼ばれたバイエルン王ルートヴィヒ2世(1845-1886)だろう。彼は現在のバイエルンの、特に観光面において最も貢献している人物かも知れない。しかし先のバイエルン史の本や他の幾つかのバイエルン史の本を見てみると、彼以上に多くのページが割かれているルートヴィヒがいる。バイエルンやその首都ミュンヘンの発展に様々な面で貢献した大公ルートヴィヒ4世(1282-1347、1314年からドイツ王、1328年から神聖ローマ帝国皇帝)とバイエルン王ルートヴィヒ1世(1786-1868)である。彼らが生きていたそれぞれの時代に彼らは活躍し、その後にも影響を残したが、今現在では特に人気面においてバイエルン王ルートヴィヒ2世ほど目立ってはいない。

それなりに有名でありながら、あまり意識されないルートヴィヒもいる。現在のミュンヘン大学の正式名称はルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンであるが、このルートヴィヒはバイエルンの大公ルートヴィヒ9世(1417-1479)を指している。大学名は彼が1472年バイエルンのインゴルシュタットに大学を設立したことに由来する。ちなみにマクシミリアンの方は1802年、インゴルシュタットからランズフートに大学を移転させた選帝候マクシミリアン4世ヨーゼフ(1756-1825、後のバイエルン王マクシミリアン1世)を指している。大学はその後バイエルン王ルートヴィヒ1世によってミュンヘンに移されることになるが、大学を設立した大公ルートヴィヒ9世はあまり馴染みがない。

ところで先に挙げたバイエルン史の幾つかの本にある索引にはフランス王ルートヴィヒ14世や同16世も含まれている。もちろんこれは「太陽王」と呼ばれたルイ14世(1638-1715)、ルイ16世(1754-1793)のことである(ルートヴィヒをフランス風に読めばルイになる)。前者はバイエルン王ルートヴィヒ2世が影響を受けた人物として非常に有名である。例えばバイエルン王ルートヴィヒ2世が築城したヘレン・キームゼー城はヴェルサイユ宮殿を模して作られたり(部分的には本物よりも豪華であった)、トリアノン宮を模したと言われるリンダーホーフ城を彼自身は別名で呼んでいたが、それはルイ14世が言ったと伝えられる「朕は国家なり」を綴り替えしたものが使われていたということである。

またルートヴィヒ2世が建てたのは城ばかりではない。1867年にヴァーグナーの提案もあり、同時にルートヴィヒ2世も個人的に支援してミュンヘンにバイエルン王立音楽学校を設立した(正確には「再設立」。初代校長はハンス・フォン・ビューロ。現在のミュンヘン音楽演劇大学)。また1868年には同じくミュンヘンに総合工科大学(現在のミュンヘン工科大学)を設立した。芸術面に関して言えば彼は窮乏のどん底にいたヴァーグナーに救いの手を差しのべてミュンヘンに呼び寄せ、彼の事業を支えた。

バイエルン王ルートヴィヒ2世のそうした行動を見てみると、彼の祖父であるバイエルン王ルートヴィヒ1世に非常に通じるところがある。王ルートヴィヒ1世は王都ミュンヘンが「ドイツの教育・美術・建築の中心」となるよう街作りをし、多くの建築を残し、また芸術を庇護した。その結果ミュンヘンは「イザール河畔のアテネ」と呼ばれるに到るが、彼は踊り子に熱を上げ退位を余儀なくされた。王ルートヴィヒ1世と2世、その退位の仕方が後の人気にも影響しているのであろうか。

ところでルートヴィヒ1世は孫であるルートヴィヒ2世がバイエルンを統治し始めた時(1864年)にも、まだ余生を過ごしていた(77歳)が、自身が38歳で王になったのに対し、若干18歳で王になった孫をどう見たであろうか。ちなみ王ルートヴィヒ1世の命日は2月29日なので、前日28日に彼のお墓(石棺)のある聖ボニファツ教会を見に行くと、何時にもまして大きな花が飾られていた。

以下の写真4枚は2004年2月28日のもの

バイエルン王ルートヴィヒ1世の石棺

バイエルン王ルートヴィヒ1世の石棺

王ルートヴィヒ1世の碑

王ルートヴィヒ1世の碑

聖ボニファツ教会

聖ボニファツ教会

聖ボニファツ教会

聖ボニファツ教会

以下、ルートヴィヒ像

大公ルートヴィヒ2世厳格公

大公ルートヴィヒ2世厳格公

大公ルートヴィヒ4世

大公ルートヴィヒ4世

バイエルン王ルートヴィヒ1世

バイエルン王ルートヴィヒ1世

バイエルン王ルートヴィヒ2世

バイエルン王ルートヴィヒ2世

(2004年02月29日)

 

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