やまねこの物語

日記 折り紙

以前、大学のゼミ室に行った時、机の上に置かれた折り紙の鶴が目に入った。誰が折ったか定かではないが、あとから来る人もそれを見ながら、これが一枚の紙だけで折られているということに非常に驚いていた。それで僕も折ろうとしたのだが、鶴の折り方が思い出せない。思いおこせば子供の時、鶴だけでなく色々なものを折った記憶がある。また幾つかを組み合わせて色々な形の箱や手裏剣なども折った記憶があるが、今はその折り方を全く思い出せない。

折り紙の箱ところで先日、日本から来られた友人のご家族の方から、折り紙で折られた箱を頂いた。左の写真がそれだが、どのように組み合わされているか想像が付かない。その場にいたギリシャ人がそれを、日本の伝統芸術だといった感じで非常に喜んでいたが、こういった手作りのものはどの国の人にも喜ばれるのではないかと思う。この中に何か入れてプレゼントにするのも良い。しかし改めて考えてみると折り紙は、一枚の紙から色々なものを折ることが出来る上に、それらを組み合わせることによって様々なものを表現することが出来る。手先の器用さ、創造力の豊かさなど非常に日本らしいものであるかも知れない。上で僕は鶴も折れなくなったと書いたが、その意味においては、僕は伝統的な日本の文化を自らの手で滅ぼしていっているのかも知れない。

ところで先日、友人がミュンヘン市内のデパートで着物を着て折り紙を折るというお知らせがあったので早速、友人と一緒に覗きに行った。この期間、そのデパートでは日本が意識されていたのか、レイアウトにも少しそれを感じさせるところがあった。また別の階では書道もなされており、こちらは外国人の名前を漢字(当て字)で書いていくというもので非常に人気があるように見えた。友人が折り紙を折っていたのはエスカレーターを上がって直ぐ目の前だったので、また着物を着て折っていたので非常に目立っていた。

友人は今回のために色々調べて折っていたとのこと。折っていたものは、うさぎ、亀、やっこ、鶴、箱、蝶々、シューズ、Tシャツ、チューリップ、アヤメ、カタツムリ、カエル、ネズミ、ツバメなど。そういえば手裏剣も折っていたが、手にした人はそれを星だと思い込んでいたらしく、それが武器だと分かると手放していったとのこと。やはり今の時代、そのようなものは受け入れられないのだろう。いずれにしてもそういった折り紙で折られたものを開いていくと一枚の紙になるというのが本当に驚きであると同時に、それを考えた人の創造力にも感心させられる。

ところで友人が折り紙を折っている様子を僕は横で見ていたのだが、色々な人(その中には従業員もいた)が足を止めて覗き込んでいる姿からその関心の高さが分かった。手に取って見る人、色々質問している人、写真を撮っている人など様々な人がいたが、みな「綺麗」「かわいい」といった言葉を発していた。そういえばテーブルにはチップを入れる小箱があったが、聞くと、最初に子供が入れに来たとのこと。やはり人に喜んでもらえるというのは、折った人にとって非常に嬉しいことだと思う。折り紙を折るという行為はある意味、他人を意識することかも知れない。千羽鶴にしても単に折るだけでなく、色々な思いが込められている。

そういえばある時、友人は折ったカエルで遊んでいた。カエルのお尻の所を押すとぴょーんとジャンプをする。その場を去ってエスカレーターに乗ろうとしていたお客さんの中に、「今のはどうやって飛んだのか」とわざわざ聞きに戻って来る人もいた。まるでカエルが生きているように見えたのだろう。少なくとも友人はカエルになるよう折っているので、折り紙はカエルとしての生命を吹き込まれたのだろう。今回、僕はその場でジェット機の折り方を教えてもらって折ったが、僕が折ったジェット機は優雅に飛ぶこともなく、床めがけて突っ込んでいった。僕に折られたジェット機は特に心が込められていたわけではなかったので、ジェット機になることが出来なかったのだろう。折り紙は薄い一枚の紙から出来ているが、その中にも色々な思いが込められている。

デパート

デパート

デパート

デパート

折り紙

折り紙

覗き込む人々

覗き込む人々

カメラ撮影

カメラ撮影

ORiGAMi

ORiGAMi

(2004年03月29日)

 

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