やまねこの物語

日記 墓地

墓地。お墓のある地である。亡くなった人が埋葬されている場所であるが、ドイツ語では元々「囲まれた土地」という意味がある。墓地の回りを歩いてみると、そこが塀で囲まれた空間となっているのが分かる。ヨーロッパの修道院も墓地と同じように中庭を囲むように、つまり建物そのものが塀の役割をして建てられていることが多い。これらは言い換えれば外と切り離された、閉ざされた空間を演出している。

住宅街の中に建つ墓地(正確には墓地の回りに住宅街が拡がっているのだが)、塀に囲まれていて外からその内側が分からないが、墓地に一歩足を踏み入れるとそこが公園のようになっているのが分かる。ドイツの墓地、少なくともミュンヘンの墓地はこういったところが多い。墓地は綺麗に花が植えられ色とりどりに飾られており、一般的に墓地が持つ不気味な雰囲気を感じさせることはない(しかし中には雨の日のミュンヘン森林墓地のように決して迷子になりたくない場所もある)。

墓地はそういった公園のような場所でもあるので、散歩している人の姿も多く見受けられる。見た目にも綺麗な場所であるのと同時に、手入れがなされた、言い換えればそれだけ思いが込められた場所でもある。そういった場所故、気持ちが穏やかになっているのか、時にはすれ違う人と挨拶を交わすこともあれば、見知らぬ人に話し掛けられることもある。

また墓地は死者が眠っている場所でもあり、そこはその街の歴史でもあると言うことが出来る。そういった視点から墓地を訪れてみるのも面白い。そういえば以前、ある墓地で非常に古い墓石が目にとまった。1789年という文字と何やら非常に派手な紋章が見える。しかし文字そのものは、おそらく酸性雨等の影響で、数字以外ほとんど読むことが出来なかった。にもかかわらず、それを解読しようとしていると、後ろから突然声をかけられた。そこに立っていたのは見知らぬおばさんだった。「私もその墓石に関心があるのだけど、その字、もう読めないねぇ。1789年・・・。私はまだ生まれてないわ。」「あなたもですか! 1789年、僕もまだ生まれていないです。」と会話が始まったこともあった。1789年はフランス革命の年であるが、おばさんともそういったことを話し、その場を離れた。結局そのおばさんも墓石に掘られた文字を解読出来なかったが、このような形で歴史に触れてみるのも面白い。

ところで僕の家とミュンヘン大学の間には旧北墓地があり、僕は授業の帰りなど、時々この墓地を通り抜ける。旧北墓地は1866-69年に造営され、7000以上の墓石があったが、空襲などによって現在は約800の墓石しか残っていない。墓のほとんどが墓石のないお墓となっている。現在、ミュンヘンには大きな新しい墓地があり、この旧北墓地に新たに死者が埋葬されることは非常に希である(元々そこにその家のお墓があった場合のみらしい)。旧北墓地には新たに埋葬がなされないということを考えると、旧北墓地は生きた墓地ではなく、我々の世界と時間的な距離があると考えられる。言い換えれば、墓地と言うより公園としての意識が強いかも知れない。

塀に囲まれた旧北墓地の中に入ると多くの人がここで時間を過ごしているのが分かる。散歩している人、ジョギングしている人、ベンチに腰掛けて話している人、本を読んでいる人、絵を描いている人などそれぞれの時間を過ごしている。また中には墓石と墓石の間にゴザを敷いて日光浴?をしている人もいる。さらには驚くことに棺型の墓石に腰掛けている人もいる。現在のドイツ人にとって墓石とは、またお墓とは如何なるものなのだろう。

しかしいずれにしても多くの人がここで時間を過ごしており、落ち着く場所であることに違いない。ただ先にも書いたが、ここには墓石のないお墓が多い。ドイツは土葬なので、墓石がないところを歩いていても、自分がその上を歩いている可能性もある。そう考えると怖い気持ちと同時に申し訳ない気持ちも感じられ、僕自身としてはベンチに座って本を読むことは出来ても、ゴザを敷いてそこで本を読む気にはなれない。

墓地での過ごし方、日本人の僕には少々驚くべき光景に出くわす時があるが、しかしそれが違和感なく風景に溶け込んでいる。個人的な意見だが、日本で墓地を散歩するといえば、何か不気味な印象を受けるが、ドイツではそれはあまり感じられない。言い換えればそこが日本とは違うドイツらしいところでもある。ドイツの墓地はドイツの一面を知ることが出来る場所かも知れない。

旧北墓地の塀

旧北墓地の塀

東墓地の塀

東墓地の塀

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

旧北墓地

(2004年04月24日)

 

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