やまねこの物語

日記 カフェ

カフェカフェはビアガーデンと並んでミュンヘン市民の憩いの場の一つである。カフェを覗いてみると色々な人がここで時間を過ごしているのが分かる、朝早くから新聞や本を読んでいる人もいれば、手紙などを書いている人、また何時間にもわたって話に花を咲かせている人達もいる。

ミュンヘンのカフェがミュンヘン史の文書に登場したのは1700年であり、1726年には7軒のカフェが確認されている。ミュンヘンにコーヒーがいつから、どのように、もたらされたか定かではないが次の話がその一つとしてある。

1683年、神聖ローマ帝国の首都であったウィーンは20万のトルコ軍に包囲されていた。そのウィーンの危機に対して真っ先に行動したのがバイエルン選帝候マックス・エマヌエルで、彼は皇帝軍とポーランド、ザクセンとの協力によって、トルコ人とマジャール人からなるトルコ軍を撃破し、ウィーンをトルコ軍の攻撃から解放した。当時の勝利の歌はそのマックス・エマヌエルを賞賛している。そして彼は1685年4月12日皇帝レオポルト1世の娘であるマリア・アントニアとウィーンで結婚式を挙げた。1688年、勝利者として彼はミュンヘンに戻ってくるが、その際多くのトルコ人捕虜を連れてきていた。そのトルコ人の多くは1699年の条約により祖国に戻ったが、中には本人の意志でミュンヘンに残ったものがいた。その彼らがコーヒーをミュンヘンに伝えたというものだ。

ミュンヘンのカフェで現在も営業している最も古いカフェは1825年に開店したお店だ。1825年と言えばルートヴィヒ1世が王に即位した年であるが、レジデンツ(王宮)側に建つこのカフェはその後、王室御用達となった。また世紀末芸術が華開いた時代、1899年から営業しているカフェがある。このカフェはミュンヘンで最も古いコンサート・カフェで現在もジャズやクラシックのコンサートを聴くことが出来る。ミュンヘンのカフェを覗いてみると、例えば芸術家や文豪が集まったカフェ、音楽家が通ったカフェ、マダムご用達のカフェなど色々とあり、もちろんその雰囲気もお店によって大きく違う。

カフェところでウィーンの有名なケーキにザッハートルテがあるが、ミュンヘンにもこの街で有名なケーキがある。プリンツレゲンテントルテがそれである。これは1886年、プリンツレゲント・ルイトポルトに捧げるためにハインリヒ・ゲオルグ・エルプスホイザーによって創造されたケーキで、ビスケット地の上にスポンジ(ケーキ)とチョコレートが交互に重ねられたものである。それは7回重ねられるが、これは当時のバイエルン王国が7つの地域から成り立っていたことに由来する。7段と言っても積み重ねられたものは高くなく、普通のケーキと同じくらいの高さで、それだけ薄く重ねられる。エルプスホイザーはそれに、ザッハートルテのようにチョコレートコーティングをした。プリンツレゲンテントルテはその後、バイエルン王国中に拡がり、バイエルンを代表するケーキとなった。

ところでカフェがお店の外にもテーブルを並べて、オープンカフェとなったとき、春の到来を感じることが出来る。冬の間、カフェが外にお店を出すのは希なことであるが、暖かい春の季節になると眩しい太陽の下で一息つきたくなる。日差しが少し強い気もするが春の高い空の下、お気に入りのカフェで時間を過ごすのも一つの楽しみである。

(2004年04月26日)

 

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