やまねこの物語

日記 ミュンヘン工事中

屋上から先日、友人と知人宅を訪れた際、その方のマンション屋上からアルプスが見えるというので、屋上に案内していただいた。そこからはミュンヘン市内を一望することが出来、アルプスの山々も望むことが出来た。午後7時を回っていたので、写真には上手く写らなかったが、聖母教会の向こうには絵葉書でよく見かけるような、アルプスの山々が拡がっていた。

ところで屋上から市内を見渡すと、どの方角にも大きなクレーンの存在が目に付く。友人が持っている双眼鏡を借りて見ると、更に多くのクレーンがあるのが分かる。友人と口を付いて出てきた言葉は「まるで『Muenchen im Bau(ミュンヘン工事中)』だ。」というものだった。これはベルリンにいる友人のホームページ『berlin im Bau(ベルリン工事中)(別ウィンドウで開きます)を単に捩っただけだが、ミュンヘンの街ではあらゆるところで工事がなされている。

それらの工事のほとんどは2006年にドイツで開催されるサッカーワールドカップに向けて行われていると聞いた。双眼鏡で見ると建設作業中の新スタジアムも確認出来る。しかし、街中で行われている工事は何ヶ月どころか何年も行われているものもあり、また工事の予定終了時期が遅れることも珍しくない。中には無期限工事中となっている施設もあった。その他、地図にも工事中と記載されている場所があったり、市民の生活をより便利なものにするための工事というより、逆に生活を不便なものにするための工事をしているのでは、と感じる時さえある。

工事といえば、先に挙げた新スタジアムの建設工事や高層ビル、学校などの建設工事も行われている。また例えば中央駅の改築計画なども出されているが、個人的に感じるのはミュンヘンの伝統を無視しているのでは、ということである。しかし伝統とひと言で言っても、どの時代の伝統かという疑問もわいてくる。ミュンヘンでは例えばバイエルン王国期やまた第三帝国期だけでなく、いつの時代も新たに街を拡張、建物を改築するために破壊が繰り返し行われている。そういった意味ではどの時代でも伝統を破壊しているのかも知れないが、それらは創造のための破壊であり、戦争の空襲による、文字通り壊すための破壊ではない。それらのことを考えると二つの世界大戦がその「創造のための破壊」の伝統を全て壊しているようにも感じられる。

戦後、ミュンヘンは市長トーマス・ヴィンマーの指揮下、「Rama dama」と称された瓦礫の撤去作業、街の復元・復興が進められ、旧市街地区の建物は出来るだけ戦前の様に戻すこととされた。そして戦後、例えば幾つかの教会など、戦争の被害に遭っていないのではと感じさせるほど、長い年月をかけて見事に復元されている。

こういった戦後の努力にもかかわらず、今現在、これまでの街並みに似合わないようなモダンな建物が建設されている(されようとしている)気もする。もちろんそこには政治的、財政的な色々な問題があるだろうし、また僕個人の好みの問題もあるのでモダンな建物が良くないと言っているのではない。ただ、個人的には新たな建築を建てる際、過去にも目を向けて、それらを未来に伝えていくことの大切さも伝えていって欲しいと思う。

そういえば話は少しずれるが、先日、アルターホーフ(旧王宮)の側を通ると、新しく建設し直すようなことが書かれてあり、その建物の一部が重機によって取り壊されていた。その日の作業は既に終わっていたようで、その作業現場は無人だったが、ただ壊されるのを待つ建物とそこに残された無機質な重機を見ていると、新しくするための破壊と分かっていても何か寂しさを感じずにはいられなかった。僕がその写真を撮っている時、横には老夫婦が立っていたが、彼らは一言も発せず、ただその場に立って作業現場を見ているだけであった。彼らは何を思っただろう。

ところでミュンヘンの旧市街地区には建物の高さ制限があって、高さ100メートルの聖母教会の塔が見えるように、旧市街地区の建物の高さは36メートルまでに制限されている。それ故か、新しい建物は市内中心部から少し離れた場所に建てられることが多い。もちろんそういった理由だけでなく、そこには地価、立地条件など様々な条件があるだろう。しかしそうやって街の回りに背の高いビルが建っていくとアルプスを望むことも難しくなるかも知れない。ビルの神殿に埋もれたミュンヘンは窮屈な空間となってしまうだろう。

屋上から

屋上から

屋上から

屋上から

屋上から

屋上から

アルターホーフ

アルターホーフ

アルターホーフ

アルターホーフ

アルターホーフ

アルターホーフ

造形芸術アカデミー

造形芸術アカデミー

工事現場

工事現場

工事現場

工事現場

(2004年05月04日)

 

menu
「日記」のトップに戻る