やまねこの物語

日記 Auer Dult

Auer Dult(アウアー・ドュルト)はミュンヘンで最も名の知られた骨董市である。このアウアー・ドュルトは春、夏、秋と年に3度催され、それぞれマイ・ドゥルト、ヤコビ・ドュルト、キルヒヴァイ・ドュルトと名前が付いている。「ドュルト」とは元々教会における行事の名前の一つであったが、その後現在のように「大市」といった意味で使われるようになった。1312年に編纂されたミュンヘン最古の市誌にはヤコビ・ドュルトに関する記述が確認され、それは現在の聖ヤコブ広場で催されたとある。1791年にドゥルトは現在マリエン広場とカール広場を結ぶカウフィンガー通り、ノイハウザー通りで行われるようになり、当時のドュルトは職人の見本市的な位置付けにあった。

1796年選帝候カール・テオドールは当時郊外であった Au (アウ)村に対し、年に2回のドゥルトを開くことを許可した。ここに現在の Auer Dult (アウのドュルト)の名前の由来がある。1905年からは年に3度開催されるようになり、またその開催場所もアウ地区のマリアヒルフ広場と定められた。1943年から1946年までは第二次世界大戦の影響で開催されなかったが、その後再び、同じ場所で催されることになった。現在は63人の古物商が登録しており、骨董品、珍品、中古品、本などを販売し、毎回約10万人が訪れるミュンヘン最大の骨董市となっている。

2004年10月にアウアー・ドュルトが10月16日から24日まで開催された。僕は友人たちとマリアヒルフ広場を訪れることにした。広場へはトラムで行くことが出来る。そこへ行く多くの人を乗せたトラムが最寄りの停留所に到着すると、そこにはアウアー・ドュルトから帰ってきた多くの人がトラムを待っており、広くない停留所から車道に人があふれ出した。また停留所とマリアヒルフ広場を結ぶ道も、これからそこへ向かう人、広場から帰ってくる人の流れが出来ており、それだけを見ても来場者の数が多いことが分かった(来場者数は約96.000人と発表された)。

マリアヒルフ広場に到着すると、そこにも多くの人がいて、例えばカール・ファレンティン小径、古物商の小径という風に名前の付いた路地も、簡単に身動きが取れないほどに人で一杯だった。僕は友人たち合計3人で、この場所を訪れたが、その人の多さで友人の一人がはぐれてしまい、結局その日最後まで再会することはなかった。

ところで市の方は、クリスマスマルクトのように幾つものお店が並んでいる。一見するとがらくたを並べただけのようなお店から、かなりの値段の家具を売っているお店まで様々なお店がある。また本やポストカードなども色々な種類の物が店頭に並べられ、どのお店にも掘り出し物がないか探す人の姿が見受けられた。そういった骨董品や中古品(新古品)以外にも食器や台所用品、掃除道具など日常の生活に使う物なども、物によっては格安で販売されていた。

人混みをかき分けながら、そういったお店を覗いていると、ここに到着してから、いつしか数時間経っているのに気が付いた。見ればマリアヒルフ広場に建つマリアヒルフ教会も夕日を浴びてその煉瓦が更に赤く染まっているように感じられる。この教会は1831-39年に建てられた南ドイツ初のネオ・ゴシック様式の教会だが、その積み上げられた煉瓦の高さ以上に、このアウアー・ドュルトが長く続けられている。そう考えると、この市は非常にミュンヘンらしいものだと言うことが出来る。そこでは昔ながらのミュンヘンをも発見出来るかも知れない。

停留所から広場までの道

停留所から広場までの道

広場近くで

広場近くで

アウアー・ドュルト

アウアー・ドュルト

お店

お店

小物

小物

本

ポストカード

ポストカード

食器

食器

蓄音機

蓄音機

演奏

演奏

移動遊園地

移動遊園地

マリアヒルフ教会

マリアヒルフ教会

マリアヒルフ教会

マリアヒルフ教会

紅葉

紅葉

紅葉

紅葉

マリアヒルフ教会と紅葉

マリアヒルフ教会と紅葉

(2004年10月31日)

 

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