やまねこの物語

日記 「ランメルモールのルチア」

バイエルン州立歌劇場の2004/05年シーズンにおいて最も見応えのあると思われるオペラはドニゼッティの「ランメルモールのルチア」(初演1835年、ナポリ)かもしれない。そのオペラのあらすじを簡単に書くと、(オペラ主役の)ルチアはエドガルドと永遠の愛を誓っている。そのエドガルドはルチアの兄エンリーコと仇敵である。兄エンリーコは政略結婚のため妹ルチアを別の男性と結婚させようとする。そしてその結婚式の日にエドガルドが表れ、彼はルチアを罵る。ルチアは絶望のあまり新郎を刺し殺してしまい、発狂して亡くなる。エドガルドはその知らせを聞き、ルチアの後を追って自ら命を落とす。大体これがオペラのあらすじである。

このオペラは、主役が精神錯乱状態になる、所謂「狂乱オペラ」と呼ばれるものの中でも最高傑作の一つとされるもので、今回のバイエルン州立歌劇場ではそれをエディタ・グルベローヴァが歌う(全4公演)。現在の彼女はそれほど若くないと言うことで全盛期ほどではないと一部で囁かれるが、いずれにしても現代を代表する歌手の一人である。その彼女が狂乱のルチアを歌うというので、チケットも直ぐに売り切れることが予想された。

チケット販売は公演日の一ヶ月前の午前10時からである。州立歌劇場のチケットは、バイエルン州立歌劇場、レジデンツ劇場、ゲルトナープラッツ州立歌劇場、プリンツレゲンテン劇場にあるチケット売り場で購入出来る以外に電話やオンラインでも購入することが出来る。ただ電話やオンラインは一度に多くの人が利用することから繋がりにくく、結局窓口に並んで購入した方が確実で早いとされる。窓口でもバイエルン州立歌劇場のチケット売り場は4、5つの窓口が同時に開くので、早くに購入することが出来る。

僕は今までにもオペラのチケットを購入するために午前10時以前に並んだことがあった。最も早いので午前8時半頃だ。しかし今回はグルベローヴァということでもっと早くから人が並ぶ可能性がある。だから僕はチケット販売開始日当日の朝7時までに並ぼうと考え、まだ夜が明けてない時間にチケット売り場まで向かった。もしかすると一番かもしれない。そんな期待を抱きながら6時40分頃にチケット売り場に着くと、既にそこには人がいて僕は7番目だった。前の人に伺うと一番に来た人はおそらく5時台から並んでいるとのこと。それで僕は数日後の販売ではもう少し早く行くようにし、6時10分頃にチケット売り場に着いた。しかし、それでも僕は5番目だった。みんなグルベローヴァが歌うオペラということで気合いが入っているようだ。僕は全4公演のうち3公演のチケットを友人と一緒に購入しようと考えていた。

そしてその公演4日目のチケットを購入するために更に早い時間に家を出ることにした。その結果、チケット売り場には5時50分頃に到着することが出来たが、順番はそれでも7番目だった。4番目の人に聞くと彼は5時15分には売り場にいたとのこと。最も早くに来た人は午前4時台からその場にいたらしい。グルベローヴァ人気がここでも垣間見れる。

ところで朝早くに来たのは良かったのだが、3度目の時は気温がマイナス4度と非常に寒く、防寒具を身につけてはいたが寒かった。寒かったと言うよりは痛かったと言った方が良いかも知れない。まだ日が昇らない真っ暗な中、列に並んで待っているのは、寒いだけでなく、また孤独感に似た寂しい気持ちもあった。そんな中、友人がポットにコーヒーを入れて持ってきてくれた。これには体だけでなく心まで温かくなり、寒く暗い中、待っている辛さを忘れることが出来た。

朝早く並んだ甲斐あって、チケットは希望の場所(正面)を購入することが出来た。チケット販売は午前10時からだが、10分を過ぎた頃には「残りチケットは横側の立ち見席のみ」と、チケット売り場の人が言い、20分頃には完売したようだ。9時頃から行列に並んだ人はどうやらチケットを購入出来なかったようだった。(その他のチケット購入する方法として書面による申し込みというのもあるが、こちらも倍率が高かったらしい。)

オペラ初日、劇場に向かうと入り口外では「チケット求む」と書かれた紙を手にした人が多かった。また待ち合わせをしている人の姿も多く、入り口前は人で一杯だった。歌劇場内に入ると、そこには人集りが出来ていた。覗いてみるとテレビカメラが回っており、テレビの画面で見たことのある人がインタビューをしているところだった。

その後階段を上っていて気が付いたのは、その日の服装で男性は蝶ネクタイ、女性はドレスと非常に派手な人が多いと言うことだった。オペラが開演する時に「今日はベルリンから大臣がお見えになっている」と挨拶があった。オペラ公演後も着飾った一部の人は歌劇場内の王の間に入っていった。その日はそこでパーティーも行われていたらしく、その招待客も多かったようだ。もしかするとその分、一般に出回るオペラのチケット数が少なかったかもしれない。

オペラの方は一言で感想を述べるなら「満足した」と言えるものだった。ただオペラの最初の部分が個人的には、締まりがないもののように感じられた。照明が落ち、指揮者(Friedrich Haider)が出てきて音楽を始める。ここは我々が生きている現実の世界から、オペラの世界へと切り替わる重要な部分だと思われる。にもかかわらず、あくまで個人的に感じたことだが、演奏が始まってもその音楽は我々をオペラの世界へ誘うことが出来なかったように感じられた。音楽に集中していたが、何処か幕があるように感じられた。これは僕が観た3公演共に感じられた。しかしその締まりがないと感じられたのも一幕のエンリーコが登場する部分では、非常に引き締まった音楽を聴かせてくれる。ここでようやくオペラの世界への扉が開いたといった感じだ。

グルベローヴァのルチアは、観るものが思わず引きつけられるほどに素晴らしいもので、このままもっとアリアを聴いていたいという気にさせられた。(合唱の人に聞けば2日目だけ調子が悪かったらしい。)グルベローヴァが歌っている時、その歌を聴いている人は、呼吸をするのを忘れてしまうほど彼女が演じるルチアに集中していた。歌劇場内は彼女の歌声だけが響き、まるで時間が止まっているかのようにさえ感じられる。グルベローヴァが歌い終わったあとに受けるブラヴォーの声や足を踏みならす音によって、時がまた動き始める。息を止め、緊張感に似た感情を抱いて観ていた聴衆が一斉に動き出すその様は、まるでダムが決壊した時のような勢いがあった。この張りつめた空気を感じられるのが狂乱オペラの醍醐味であろう。

このオペラの主役はルチアであるが、Tito Beltran 演じるエドガルドも非常に良い歌を聴かせてくれた。ルチアが亡くなったと知って、彼女の後を追おうとする場面では、彼が歌うのを聴いていると、こみ上げてくるものを感じられるほどに、彼はエドガルドだった。「彼に対してもっと拍手やブラヴォーがあっても良かったのでは。」これが一緒に劇場に行った友人と一致した意見であった。このオペラでは、彼ら以外に Paolo Gavanelli 演じるエンリーコも、声だけでなく迫力的にも存在感があり、非常に引き締まった舞台を作り上げていた。

上演後、合唱の人に会って話を聞いたが、バイエルン州立歌劇場において今の Robert Carsen による演出で、グルベローヴァがルチアを歌うのは今シーズンが最後とのことだった。その意味においても、この公演を観ることが出来たのは非常に良かった。しかし何より、このオペラが素晴らしかった。我々が生きている現実の世界からオペラの世界を覗いているといったものではなく、自分自身(聴衆)もオペラの世界にいるかのようにさえ感じられた。その後幾つかのオペラを観たにもかかわらず、頭の中ではずっとルチアが流れていた。朝早くからチケット売り場に並んだことから始まった今回のルチア、僕の中ではまだ暫くルチアが歌っているかも知れない。

以下の写真は今回の「ランメルモールのルチア」に関する写真。一部友人撮影。

午前6時過ぎのチケット売り場

午前6時過ぎのチケット売り場(右側)
既に人が並んでいる

午前6時20分頃のマクシミリアン通り

午前6時20分頃のマクシミリアン通り
 

午前6時30分頃のマクシミリアン通り

午前6時30分頃のマクシミリアン通り

午前7時過ぎのマクシミリアン通り

午前7時過ぎのマクシミリアン通り

午前7時過ぎのマクシミリアン通り

午前7時過ぎのマクシミリアン通り

撮影

撮影

 

 

パンフレット

パンフレット

休憩前

休憩前
休憩前の最後の場面。幕が閉じてからもう一度、幕が開かれる。

後半終了後の挨拶

後半終了後の挨拶

オペラ終了後の挨拶

オペラ終了後の挨拶

オペラ終了後も遅くまで残って拍手する人達

オペラ終了後も遅くまで残って拍手する人達

王の間に入っていく人達

王の間に入っていく人達

(2004年12月18日)

 

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