ルドルフ・モサマー。僕はこの名前をドイツに来て初めて知った。日本ではほとんど馴染みのないこのファッション・デザイナーは、ドイツ、特にミュンヘンでは非常に有名で、先日のニュースでも「ドイツでは知らない人がいない」と紹介されていた。この表現は大袈裟かも知れないが、少なくともミュンヘンでは、知らない人がいないと言うくらいの有名人である。例えばオクトーバーフェストのパレードでも市長と同じように馬車に乗っていたり、バイエルン州立歌劇場のオペレッタでも、その姿を真似た演出がなされるほど人気がある。そういえば昨年のクリスマス・トラムでも、トラムがマクシミリアン通りを通るとき、「左手にモサマー氏のお店『モサマー』が見えます」と車内アナウンスがなされるほど、市民には馴染みのある人物である。そのモサマー氏が、2005年1月14日(金)、殺害されているのが彼の運転手によって発見された(64歳だった)。
「デイジーは見ていた!」モサマー氏は愛犬ヨークシャーテリアのデイジーをいつも抱えている。僕が街中で偶然目にした新聞の見出しがそれだった。そこにはデイジーが殺人現場を見ていたのでは?ということが書かれていたが、僕は最初、誰が殺害されたのか解しておらず、殺害されたのがモサマー氏だと知ったのは数時間後だった。
そのニュースは全国放送のテレビ・ラジオのトップで報じられ、各新聞もそれに関する記事を一面に載せていた。彼のお店は、高級ブティックや高級ホテルが並びドイツで一番地価が高いと言われる、ミュンヘンのマクシミリアン通りにあるが、その報道がなされた日からは多くの人がお店の前に集まっていた。数台のテレビカメラだけでなく、警察による交通整理が必要とされるくらい、一日中人が集まっていた。
死因は電話線による絞殺であった。数日後に犯人であるイラク人男性が逮捕されたが、同性愛者であったモサマー氏との「デート代」でもめ、殺害に到ったとのこと。暫くの間、テレビや新聞などでは、この事件に関するニュースだけでなく、残されたデイジーがどうなるか、モサマー氏の遺産についてなど、色々と報道されていた。また告別式(聖ルーカス教会)や追悼式典(レジデンツ内王宮教会)、追悼パレードも複数の局で全国中継されるなど、モサマー氏の死が如何にドイツ中(ミュンヘン中)に衝撃をもたらしたか分かる。
そういえばテレビで、「今年のファッシング(カーニバル)では、モージー(モサマー氏の愛称)に変装しよう!」と、かつら、ひげ、デイジー人形というグッズが紹介されていたので、友人達とデパート内にあるファッシングの衣装コーナーにその商品を探しに行ったが、残念ながら見つけることが出来なかった。売り切れらしいと耳にしたが、ファッシングのお祭りの最中、その格好をした人を一度も見かけることはなかった。
追悼式典が行われてから数日後、友人とモサマー氏のお墓を訪れてみた。警備員によって監視がされているお墓には多くの人が訪れており、またその回りには外国の大使館、ホテル、デパート、ビール会社などの名前が入った花が捧げられてあった。
ところで彼は非常に有名であったのと同時に人気があり、「最もミュンヘンらしい人」と紹介されているのを見たことがあるが、逆に、少なくとも自分にとっては謎が多い人物でもある。何故ここまで人気があるのか、例えばトラムなど公共の交通機関も止められて行われた追悼パレードなどを見ていると、まるで国家の要人や王族の人が亡くなったようにも見える。ただ彼は自身をバイエルン王ルートヴィヒ2世の生まれ変わりと称したが、ミュンヘン市民の彼に対する関心の高さや人気を見ていると、それもあながち外れていないように感じられる。個人的に感じるのは、彼自身に対する人気というよりは「ミュンヘンを想う」彼に対する人気があるように感じられる。その意味において、「最もミュンヘンらしい人」と紹介されるモサマー氏は、ある意味、ミュンヘンの文化の一つかも知れない。
ところで彼が亡くなってお店の方は閉められ、以前の派手なお店の面影を見つけるのは難しくなっているが、一方、彼が1983年に購入したフンズクーゲルというお店には、それまでなかった「Moshammer's」という表示が付けられた(Moshammer's
Hundskugel)。このお店はミュンヘンで最も古い飲食店で1440年から営業しているお店である。ここにも彼がミュンヘンの文化の一部であるということが見て取れるかも知れない。また彼の格好に扮した人が出るオペレッタでは、その格好が止められた。いずれにしてもモサマー氏の死によって、ミュンヘンの文化に変化が起こる可能性がある。今後モサマー氏はその中で生き続けていくだろう。
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