日記 オペラ「La Calisto」にて |
バイエルン州立歌劇場で一般に売り出されない座席がある。かつてのバイエルン王国の王家ヴィッテルスバッハ家のボックス席と劇場総支配人のボックス席である。それぞれのボックス席に前述の人が座ることがあるが、時には彼らの招待した人が座ることもある。今回、僕は直接招待されたわけではないが、縁あって劇場総支配人のボックス席でオペラを観ることが出来た。Francesco Cavalli「La Calisto」である。 その日、歌劇場に向かおうとマリエン広場で電車を降りると、地下から地上への階段の幾つかが閉鎖されていた。どうやらマリエン広場で、サッカー・ブンデスリーガ1部リーグで既にシーズン優勝を決めたバイエルン・ミュンヘンの優勝セレモニーが行われるよう。ちょうどその日は同チームがホームにしているミュンヘン・オリンピックスタジアムでの最終試合の日で、そのホーム最終戦を勝利で飾ったとのこと(来シーズンからのホームはアリアンツ・アリーナ)。 マリエン広場周辺は大勢のファンだけでなく、それを警備する人達でごった返しており、その隙間をぬって僕は歌劇場まで向かった。僕が歌劇場に着いた頃、ポツリポツリと大粒の雨が降り始め、そしてバケツをひっくり返したような強い雨がいきなり降ってきた。風も強く雷もなっている。ドイツの夏によく経験するゲヴィッターと呼ばれる夕立であるが、突然の大雨だったためか、歌劇場には全身ずぶ濡れといった人の姿もあった。 歌劇場の関係者入り口で名前を言ってチケットを受け取り、歌劇場内に入った。係の人にチケットを見せると「こちらにどうぞ」と劇場総支配人のボックス席へ案内された。ボックス席の前には一つの小部屋があり、そこにはそのボックス席専用のクロークもあって、それが少し優雅な気分に感じられた。そして指定された椅子に腰掛けると歌劇場内が一望出来、既に客席に着いている人々が見えた。客席にいる人は特にこちらを見ているわけでもないが、ボックス席は客席から見えやすい位置にあるので、まるで客席の人がこちらを見ているようにも感じられ、優雅さと同時に少し恥ずかしさを覚えた。 オペラ開演直前に劇場総支配人の Sir Peter Jonas 氏がボックス席に入ってきた。挨拶をする前に、彼は「(僕と友人が座る)椅子の場所がおかしい」と、椅子の向きを舞台側に向け、「これで舞台が良く見え、よく聞こえる。さあ、どうぞ」と話し掛けてきた。そして簡単な挨拶をしている最中に歌劇場内の照明が落とされ、指揮者である Ivor Bolton 氏が姿を現した。横にいる劇場総支配人は拍手するだけでなく、ブラヴォーを叫んでいる。そういえば彼は休憩後の幕が開くときにもブラヴォーを叫んでいた。その時は足で床をどんどん叩き、その盛り上がりように僕は圧倒されてしまった。 ボックス席は舞台よりも少し客席側に向いているため、舞台が見づらいのではと以前から思っていたが、座ってみると想像に反して舞台が非常に良く見える。あまり使われない舞台右奥は乗り出さなければ見えないが、普通に舞台を観る分には全く支障がない。最も驚いたことは、歌劇場内の客席側の音がよく聞こえるということだ。咳をしている人や上演中に起こる笑いなど、その客席の反応が手に取るように分かる。 またこのボックス席は Proszeniumsloge(客席との境界に当たる舞台の部分にある特別席)と呼ばれるように、オケピットの横上にあるので、音の反響が少なく、音が直に飛んできている感がした。舞台上で歌っている歌手にもそれは当てはまる。同時にその位置柄、舞台袖やオケピット内がよく見え、この座席は客席の一部でありながら、舞台の一部といった印象も受け、それ故ここが劇場総支配人のボックス席というのも分かった気がした。 オペラの方は歌手的にも演奏的にも満足出来るものだった。とにかく劇場総支配人のボックス席から舞台を観ていると、歌手や演奏者の(目など顔の)表情まではっきりと見え、時には視線がぶつかることもあった。それほどに舞台との距離が近い。ただこの席の唯一の難点を挙げるとすれば、字幕の見づらさだろうか。字幕を見るには首を大きく傾ける必要があり、字幕を追うのは容易ではなかった。 ところでオペラが終わると、劇場総支配人はあっという間に席を立ち、ボックス席をあとにした。カーテンコール中でまだ歌劇場内は暗い状態だったので、一言、声を交わしただけでお礼すら言えなかった。劇場総支配人に直接、お礼を言うことは出来なかったが、いずれにしても良い体験が出来、こういった機会を与えてくださった方々に感謝の気持ちで一杯だ。そんなことを意識しながら歌劇場をあとにした。外は既に雨が上がり、少し星空も覗いている。遠くではサッカーファンの歌声が響いていた。 |
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
(2005年5月16日) |
|
|