やまねこの物語

日記 ダッハウ強制収容所
先日、ミュンヘン郊外ダッハウという街にある強制収容所を訪れた。正直なところ、今、何か書いて良いか迷った。というのは、自分の意見もまだはっきりしてないし、自分でもよく分からないところが多いからだ。でもその、意見がまとまっていないというのも、一つの意見だと思ったので、書くことにした。

ダッハウ強制収容所を訪れた日の天気は曇りというか雨というか、何かすっきりしない天気だった。それに前日までとはうってかわって急に寒くなった。吐く息が白い。ダッハウまではミュンヘン中央駅から電車で15分くらいだ。思った以上に近い。そこで強制収容所行きのバスに乗る。あっという間に着く。このダッハウ強制収容所はドイツ第3帝国が初めて造った強制収容所だ。もともとは政治犯を収容するために造られた。でも強制収容所であって、アウシュビッツのような絶滅収容所ではない。絶滅収容所は、主にユダヤ人を絶滅させるために造られた強制収容所だ。でも第二次世界大戦でドイツ軍が追い込まれたとき、ここはアウシュビッツのような絶滅収容所として存在した。実際には使われなかったが、シャワー室と書かれたガス室もあるし、またガス室へ入る前には消毒室もある。火葬場ももともと一つだったのが、収容所の存在目的が変わるときには3倍の数になっている。実際ここでは20万人以上の人が捕らえられ、32000人の人が命を落とした。絶滅収容所ではないが、それに近い役割を果たしている。

ところで強制収容所の壁の手前(内側)は芝生になっている。これを見たときには、これが当時のものなのか、それとも今、観光地化したために植えられたものかは分からなかった。でもあとで知ったのだが、この芝生ゾーンは当時からあったらしい。というのはこの芝生ゾーンは壁から8メートルの所にひかれていて、ここに足を踏み入れたものは射殺される、というものだった。収容所に捕らえられた人から見ると、この芝生ゾーンはどのように見えたのだろう。やはり、天国のように見えたのだろうか。芝生の上で寝転がったりするのは、夢のまた夢だ。逆に言うと、その芝生ゾーンを設置することで、収容所生活がもっと苦しくなると思う。ただでさえ苦しいのに、目の前に手の届かない物を置かれるのはもっと苦しい。もしかして、そういうことも考えて芝生ゾーンを設置したのだろうか。

この収容所はまた実験所にもなっていた。例えば、人間は何気圧まで耐えられるか。これは飛行機でどれだけ高いところまで行くことが出来るか、というのに繋がっている。地上のミサイルが絶対届かない高さから爆撃を行うために。それ以外では人間はマイナス何度まで耐えられるかなど。この収容所には当時管理部として使われていた建物があって、そこは現在、博物館となっている。写真やものによる色々な展示がされている。その展示の一番最後には記帳の出来る場所があって、僕は知人を待っている間、それに目を通していた。この記帳によると、ほとんど毎日のように日本人もここを訪れている。大体が“世界平和”を書いている。日本人以外では英語の記帳が多かった。あとは自分の読めない言語もかなりあった。でもドイツ語の記帳が少ない。中には“第3帝国、万歳!”みたいなものもあった。

なぜドイツ人の記帳が少ないのだろう。ドイツ人はここへやってこないのだろうか。強制収容所を戦後破壊しないで、そのまま残し、それを未来に伝えていくというのは素晴らしいことだと思う。でもこのドイツ語による記帳の少なさを見たとき、なんとなく、強制収容所を残すことで逆に過去を断ち切っている気もした。これは昔のドイツ人がしたことであって、今生きているドイツ人とは関係ないというような。このことは戦後、ドイツ人が何もしていない、ということではない。補償問題や難民受け入れ問題、ドイツは多くのことをやっている。ただ、僕自身詳しく調べたりしたわけでもないし、自分なりのしっかりした意見を持っているわけではないので、はっきりとは言えないが、なんとなく『ダッハウの嘘』になりかねないと感じてしまった。また、機会があればここを訪れてみようと思う。
ダッハウの博物館
ダッハウの博物館
 (2000年3月24日)
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