2005年9月17日(土)、今年で172回目となるオクトーバーフェストが開幕した。通常は10月の第一日曜日まで16日間の開催であるが、今年は10月3日(月曜日、ドイツ統一記念日で祝日)までの17日間続けられる。
オクトーバーフェスト初日、正式な開始時間は正午12時であるが、その前に各ビール会社のビア樽を積んだ化粧馬車と会場で働く人々(約1.000人)のパレードが行われるので、僕はそれを観るために午前9時過ぎに会場であるテレージエンヴィーゼに向かった(パレードは10時45分に出発)。午前9時台ではU(地下鉄)もそれほど人がいないだろうと考えていたが、ホームには民族衣装を着た人が何人もいて、また電車の中も混雑していた。僕が利用したミュンヘン中央駅、テレージエンヴィーゼ駅では駅員の数も多く、電車の中でもテレージエンヴィーゼ駅に到着する際、「オクトーバーフェストへ行く人はここで降りてください」とドイツ語・英語でアナウンスがあって、朝が早かったにもかかわらず既にオクトーバーフェストが始まっているといった感がした。
多くの人はビアテントに向かっているようだった。ビールが出されるのは正午からだが、予め席取りに行くのだろう(家に帰ってからニュースを見ると早い人は午前7時頃ビアテント前に来ていたとのこと)。パレードの時間まで僕は適当に散歩をしようと思っていたが、この日は朝から雨で、また気温も9度と肌寒く、吐く息が白い。僕はパレードを観ようと思っていた場所で、雨宿りをすることにした。そして午前10時半過ぎだろうか、パレードになる場所に警官によってロープが結ばれていった。それに合わせて多くの人が移動し始めたので、僕もパレードを観られる場所を選んで雨の中、立つことにした。
午前11時を過ぎるとパレードの沿道には幾重にも人の列が出来ていた。それまで降ったり止んだりを繰り返していた雨は、その頃には上がってきて、パレードが観やすい状況になってきた。というのは雨が降っていると多くの人が傘を差していて、人混みの中ではそれが危険に感じられる。
午前11時15分頃、パレードの音楽が遠くから聞こえてきた。最初に警察が入ってきて、続いてミュンヘン小僧(に扮する女性)、ミュンヘン市長クリスチャン・ウーデと続いた。彼に対する声援は非常に大きく、彼の人気の高さが窺える。その後、ビア樽を積んだ化粧馬車や会場で働く人々のパレードが続いた。目の前を通り過ぎてゆく、特に化粧馬車は迫力がある。馬車の上では会場で働く女性が奇声に似た歓声を上げ、沿道の人もそれに応えている。パレードは約30分間続いたが、ほとんど終わったという頃に雨が本格的に降り出した。
正午12時、花火がなりオクトーバーフェストの開幕が告げられた。僕は会場を適当に歩いていたが、まだオクトーバーフェストが始まったばかりにもかかわらず、多くのビアテントは入場制限で中に入れないようになっていた。雨が降っていたので、既に多くの人がビアテントの中に入っているのだろう。ビアテントの裏口の方に回ってみても、そこでも入場制限のため入り口が閉ざされており、その前には多くの人がいた。その光景はどのビアテントに行っても見られた。ビアテントに入れないので、中には雨が降る中、ビアテントに併設してあるビアガーデンでビールを飲んでいる人もいる。
ところで会場内では Die Wiesn-Zeitung
ヴィーズン新聞(「ヴィーズン」とはオクトーバーフェストのこと)が無料で配られていた。24ページもあるその新聞は、例えば民族衣装のお店など広告が多い気もするが、会場の見取り図や各テントのビールの値段などが記載されている。ビールの値段、今年は基本的に7,10オイロだが、テントによっては、それが7,15だったり、7,20オイロだったりする。しかし実際にはチップを入れて、7,50オイロか8オイロ支払うだろうから、あまり差がないような気もする。
またその新聞には、オクトーバーフェストの歴史も簡単に説明されている。例えば何故オクトーバーフェストが始まったかや、昔は現在のようなビール祭りではなかったと言ったことなどが説明されている。その新聞を見ていると、オクトーバーフェストが毎年行われている単なるビール祭りではなく、歴史がある伝統的なお祭りだと再度認識させられた。
以下の写真は全て2005年9月17日(土)に撮影したもの。
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