やまねこの物語

日記 復活祭

復活祭、いわゆるイースターのことだが、正直なところ、自分には今まであまり関係なかったし、関心も持っていなかった。ただ「そんな日がある」と思っていたくらいで、自分にとって特に重要な日でもなかった。でもドイツで生活をしていると、なんとなく「周りの人にとっては重要な日なんだな」と感じるようになった。学校に行っていても、ヨーロッパや南米から来ている人によく「復活祭は何をするの?」とか「復活祭の時、どこかへ行くの?」と聞かれた。聖金曜日、土曜日、イースターの日曜日、イースターの月曜日と、4連休になる。(土曜日はいつもの週と同じく、お店は4時まで。学校やお役所は休み。)だから、単なる連休といえば単なる連休には違いない。しかし、友人たちは家族と過ごすとか、教会に行くとか言っていた。ミュンヘンにある博物館や美術館も、休みの時があったり、開館時間が変わっていたりしていたようで、やはり何か特別な日のようだ。

特に教会はどこでもミサをやっていたし、特別コンサートなどもやっていた。普段一般人が入ることの出来ない教会も特別に開かれたりもしていた。例えばアザム教会はこのときだけしか、地下納骨堂を開けなかったり。どこの教会でも特別祭壇が設けられイエスが祀られていた。その前でずっとお祈りしている人もいたし、懺悔室で懺悔している人もいた。花もたくさん飾られていた。また色々な教会の礼拝堂には旗が揚げられていた。(僕には旗の意味が分かりませんが。)どこの教会もすべての年代の人がいた。子供から老人まで。やはりキリスト教徒にとっては重要な一日なんだと再認識した。

僕はその日、友人と一緒にミュンヘンのガスタイクというコンサートホールに、ミュンヘン・バッハ合唱団とオーケストラによる「マタイ受難曲」を聴きに行った。聴きに来ていた人は、みな黒めの正装をしていた。J.S.バッハの「マタイ受難曲」だけでなく、「ヨハネ受難曲」や他の人が作曲した受難曲など、つまり「受難曲」はこの復活祭の時期、“復活”する日の前までしか演奏されない。多くは聖金曜日を挟んだ前後に演奏される。ミュンヘンでも聖金曜日に6カ所で、「マタイ受難曲」が演奏されていたようだ。

ところで僕は今まで一度もバッハの「マタイ受難曲」を聴いたことがなかった。それで日本語訳付き歌詞カードを持っていき、それを見ながら歌を聴いていた。受難曲がいわんとしていることは、つまり、イエスが十字架にかけられたこと、自分たち人間の代わりに受難を背負ってくれたこと、ということだ。コンサートは本当に良かった。僕はその会場で売られているCDを買ってしまったほどだ。

日本語訳を見ながら歌を聴いていたので、イエスが十字架にかけられていくという話の流れもわかった。キリスト教徒ならば子供の時から、この話を何度も聞かされているだろうから、その意味を考える時間もかなりあっただろうと思う。でも僕は何となくではあるが「宗教」というものがわかったような気がした。(といってもそんな大げさなものではないけれども。)言い換えれば、キリスト教にとって宗教(キリスト教)とは自分の中でどのような位置づけにあるか、みたいなことを。

日本人にとっては宗教は結構曖昧だと思う。神道であったり、仏教であったり、キリスト教であったり。別にそれをどうこう言うつもりはないが、例えば、日本人の僕にとって、ヨーロッパの人が宗教戦争をしたりするといったことを理解するのは、そう簡単ではないと思う。これは宗教が、今の自分にとって生活の一部にはなっていないからだと思う。

この「マタイ受難曲」を聴いて(歌詞カードを読んで)思ったのは、キリスト教、宗教的なことレベルのことではなくて、もっと身近なこと、つまり、自分の中にある、悪な(?)部分を見つめ直し、反省してそれを生に活かすということだった。それが音楽を通して自分に訴えかけてくる。教会やコンサートなど復活祭が、自分を見つめ直すのにいい機会を与えてくれた。

ガスタイク

ガスタイクでの「マタイ受難曲」コンサート
 

イースターの特別祭壇

イースターに設けられた特別祭壇(聖アンナ教会)
中央にイエスが横たわる。

 (2000年4月30日)

menu
「日記」のトップに戻る