日記 ケンプファーというドイツ人 |
今日、大学教授から手渡された資料にケンプファーという人物の資料があった。自分は初めて耳にする名だ。聞けば日本研究で最も知られたドイツ人の一人ということ。 日本研究者と言えば同じくドイツ人のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz von Siebold、1796-1866)の名前が直ぐに思い浮かぶ。エンゲルベルト・ケンプファー(Engelbert Kaempfer、1651-1716)の方はシーボルトよりも約30年早く、医者として日本に来ていた(日本語では彼はオランダ語読みでケンペルと表記されている)。 その資料に目を通すと、ケンプファーは Nagasaki Dejima(Deshima)で1690-1692年、医者として働き、同時に日本人の協力を得て日本の研究をしたとある(1727年ロンドンで『The History of Japan』を出版。これはドイツ語、フランス語、オランダ語に翻訳された)。Imamura Gen'emon, Namura Gompachi, Narabayashi Chinzan といった名前がその協力者として記載されている。自分はそういった日本人の名前も知らない。 その歴史は、自分が知らないだけで、実際に存在するものである。それを意識すると歴史の奥深さを改めて感じさせられる。 そしてそのケンプファーの研究を元にシーボルトが更に研究を進めた。その様にして一つの集大成が発表される。その後シーボルトはバイエルンで民族博物館の設立に寄与するが、シーボルトの偉大さを意識するなら、そこにある先人の貢献をも意識するようにしたい。 写真はミュンヘン旧南墓地にあるシーボルトのお墓。 |
(2006年12月04日) |
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