やまねこの物語

日記 バッハフェスト

西暦2000年はJ.S.バッハの死後250年で、ミュンヘンではミュンヘン・バッハフェストなるものがあった。といっても僕はそれらのことについて、あまりよくは知らないので詳しくは書けないが、とにかくバッハ祭りみたいなものがあった。今年はバッハイヤーと言われているようで、ミュンヘンの大きなCDショップやクラシック専門店に行くと、どこでもバッハの特別コーナーが設置されてあった。その量もすごい数だ。バッハイヤー特別のCDも出ていたり、今年はバッハ大全集なるものも発売されたと聞いた。

僕はバッハの音楽を聴きはするものの、それほど特別に聴いていたわけではない。でも以前ミュンヘンであった復活祭での、ミュンヘン・バッハ合唱団とオーケストラによる「マタイ受難曲」のコンサートを聴いて以来、CDなどを聴く回数は増えてきた。といっても、正直なところ、バッハの曲を聴きたいというより、ミュンヘン・バッハ合唱団を聴きたいという気持ちの方が強かったのだが。

それでミュンヘン・バッハ合唱団が出るバッハフェストは、どうしても聴きに行きたかった。ミュンヘン・バッハフェストは2000年5月26日(金曜日)から、同年6月4日(日曜日)まで続いた。バッハフェストは聖ミヒャエル教会でのミサから始まり、最終日の聖マルクス教会のミサで終わりを告げる。(そのあとにバッハフェスト終了コンサートがある)

その期間中、最終日の公演をあわせ計8回のコンサートが催された。会場は聖ミヒャエル教会、聖マルクス教会、プリンツレゲンテン劇場、ガスタイク。コンサートといっても合唱の日もあれば、オルガンコンサート、ジャズコンサート、オーケストラコンサートなど様々な形でバッハが演奏された。またコンサートの前には「コンサートへ臨む前に」といった説明会がミュンヘン大学でも行われた。

先にも書いたが、僕はミュンヘン・バッハ合唱団を聴きたかったので、チケットを取ろうとしたが、オペラへ行く日と重なったりして行くことが出来なかった。それでアッという間に最終日になってしまった。最終日のミサにも行きたかったが、早朝でしかもものすごい悪天候だったので、それは諦め、夜の「ロ短調ミサ」のコンサートに行くことにした。といってもチケットがあるかどうかも分からない。それでとりあえず、最終コンサートが行われるガスタイクへ行ったのだが、当日券は開演一時間前でないと発売されないとのことだった。

僕は、その日それ以外に予定があったので、それを済ますために出かけた。そのついでにガスタイクへ寄ったのだ。だから服装はジーンズで、ものすごくラフな格好だった。ところが予定していた方で思った以上に時間をとられ、結局そのままの格好でガスタイクへ当日券を買いにいった。チケットは無事取ることが出来た。でも良いか悪いか、座席は前から2列目だった。しかも中央。

ガスタイクは約2400人、入ることが出来るミュンヘンで一番大きなコンサートホールだ。最初から、その座席だと分かっていれば、もっとちゃんとした服装で行ったのだが、そういうわけにもいかずジーンズ姿で行ったのは、ものすごい場違いのような気もした。周りの人はちゃんと正装している。

でも演奏の方は、知らない曲ばかりだったにもかかわらず、真正面で観ることが出来て楽しむことが出来た。本当はもう少し後ろの方が音は良いのだけれども。でも指揮者の動きなども細かく見えて、そういう点では非常にいい座席であった。指揮者のハンス・マルティン・シュナイト氏はもう何年間もこのミュンヘン・バッハ合唱団の指揮をしておられる。この日はミサに続いて指揮を振っておられ、またバッハフェスト最終日ということもあってか、ものすごくテンションが高いように見えた。ジャンプを何度もして指揮をしておられた。器用な方だ。

後日、シュナイト氏と知り合いの方にサインを貰ってきてもらうようお願いして、パンフレットにサインを貰ってきてもらった。サインには僕の名前も書いていただき、その上そのパンフレットに、ご自身のコメントまで丁寧に書いていただいた。とっても嬉しかったのだが、僕の名前が違っていた。

コンサート終了後 

コンサート終了後
中央右が指揮のシュナイト氏
後ろがミュンヘン・バッハ合唱団

 

コンサート後の挨拶

コンサート後の挨拶

 

パンフレット

ミュンヘン・バッハフェストのパンフレット

 

チケットとサイン

シュナイト氏直筆のサインとチケット

 (2000年6月12日)

menu
「日記」のトップに戻る