やまねこの物語

日記 民族衣装パレード

民族衣装パレードはオクトーバーフェストの最大イベントの一つで、フェスト最初の日曜日に行われる。場所はルートヴィヒ通りからオクトーバーフェスト会場まで。パレードでは色々な国や地方の民族衣装団体と射撃連盟の人々が行進し、言ってみれば、「民族衣装博覧会」というような感じだ。一度に数多くの民族衣装を見ることが出来る。というわけで僕もルートヴィヒ通りの端、オデオン広場に出向いた。というのは凱旋門からオデオン広場までの間が一番盛り上がると以前どこかで聞いたからだ。実際、この通りの幅は広く、沿道には桟敷席が設けられてあった。

僕が地下鉄「オデオン広場駅」に着いたときには、すでにパレードは始まっていたようで、ブラスバンドの大きな演奏が地下まで聞こえていた。最初、凱旋門の方へ行って見学できる場所を探したが、沿道はどこも何重にも人の列が出来ていて、背伸びしても行進する人の頭しか見ることが出来ない。それぞれのブラスバンドや馬の歩く、カッポカッポという音、馬に付けられている色々な飾りがガチャガチャいう音だけが聞こえる。それにしてもすごい迫力だ。それに応えるように沿道の人も拍手をしたり、さまざまな歓声を上げている。

ルートヴィヒ通りには幾つかの桟敷席が設けられてあって、これらは何ヶ月も前から予約しないと、そこでは見ることが出来ないそうだ。それだけここはよく見える。特にオデオン広場に設けられた桟敷席は通りの正面にあたり、パレードはこの桟敷席の前を直角に曲がって行進していくので、まさしく自分に向かって行進してきて、目の前を曲がるといった感じだ。だからそこにテレビカメラがいくつも設置されてあって、パレードの興奮を伝えているというわけだ。実際、僕が家を出る前、テレビ(ドイツ第一テレビ)ではここからの映像が放送されていた。

僕は結局パレードが直角に曲がる、桟敷席の向かいあたりに高い所を見つけてそこからパレードを見ていた。本当に多彩な民族衣装がある。僕自身、民族衣装にそんなに興味があるわけではない。でも、これだけの人がパレードをし、ブラスバンドの演奏がつくと、なぜかそれがすごく格好良く見えてくる。まるで中世のようだ。それぞれの地方の旗が先頭を歩き、馬車が続き、ブラスバンドが続き、といった具合で、一つ一つのグループが形成されている。パレードは一時間以上も続き、色々な民族衣装団体が目の前を行進していった。このような大きなイベントがあるから、民族衣装というものが後世に伝えられているのだろう。

このパレードがいつから始まったのか僕は知らない。でもおそらくオクトーバーフェストが始まった19世紀にはあっただろう。でもその当時は民族衣装団体ではなくて、本当に色々な地方から来ていたに違いない。当時のバイエルン王国の王室や貴族にとっては、これだけ多くの地域の人がフェストに参加しているということで、自国が色々な民族を支配している、色々な地方と交流があるといった、内外にその存在を示すいい機会であったかもしれない。またそれだけ国力を示す場にもなる。でもいずれにせよ、今もまだそのようなパレードが残っているのはいいことだ。多くの文化を見ることが出来るのは良いことだと思う。

ただ一つ疑問に思ったのは、ワイマール共和国が崩壊してドイツ第3帝国が誕生し、ドイツが成長期を向かえる1930年代はじめ、この民族衣装パレードは一体どの様なパレードだったのだろうかということだ。オデオン広場から真っ直ぐ行くと、第3帝国がミュンヘンの新たな中心地にしようと計画していたケーニヒ広場に出る。もしかすると街中、ナチス党党旗が飾られ、パレードも多少、民族意識的なところがあったかもしれない。おそらく現在と同じく沿道の人は歓声を上げていただろう。個人的に政治や権力にはパレードが付き物だと思う。今から数十年後、この民族衣装パレードはどの様になっているだろう。

民族衣装パレード

民族衣装パレード

 

馬に乗った民族衣装パレード

馬に乗った民族衣装パレード

 

民族衣装パレード

民族衣装パレード、ブラスバンド
後方にあるのがルートヴィヒ通り正面桟敷席

 

旗を持った民族衣装パレード

旗を持った民族衣装パレード
 

 

 

 

(2000年09月17日)

 

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