やまねこの物語

日記 結婚パーティー

2000年10月14日、友人の結婚パーティーに招待された。僕自身、日本でも結婚式や披露宴に招待されたことは片手で数えるほどしかない。しかも外国人の結婚パーティーに招待されるのは初めてのことだ。結婚パーティーは日本でいう披露宴のようなものだろうか。僕の友人は台湾人の女性で、その彼女がドイツ人(バイエルン人)と結婚した。結婚式自体はただ単に儀式的なもので15分ほどで終わったらしい。結婚式というより結婚手続きといったところだろうか、立会人がいただけで両親なども出席していない。それから披露宴、つまり結婚パーティーは両家の両親、彼女の方は台湾からご両親が出席されていた。それ以外に彼の方の仕事の同僚、また二人のそれぞれのごく親しい友人など合計40人弱がパーティーに招待された。といっても半数以上は新郎側の人たちだったが。(新郎・新婦という言葉はあまり雰囲気を伝えていないような気がするので、以後は彼・彼女にします。)

結婚パーティーはミュンヘン市内の、ビアホールのような、とあるブロイハウス、つまりビール工場を伴ったレストランの一室で行われた。時間は午後4時から。僕は正直、服装に困った。何を来て行って良いか分からないのだ。当然ジーンズで行くのは失礼だが、いつもオペラに行くような服装(ダブルの黒のスーツ)だとあまりにも派手すぎる。かといって僕はカジュアルなものを何も持っていない。それで日本から持ってきたレンガ色のジャケットを着ていくことにし、その前日、それに合うズボンやシャツ、ネクタイなどを買ってそれを着て出かけた。会場に行ってみるとみな、それなりの服装をしている。でも一番目立っていたのは当日主役の二人だった。二人はバイエルンの民族衣装を着ていたのだ。彼女の方は服装だけでなく髪型まで民族的なものに結っていて、また彼の方はバイエルンの民族衣装である革のズボンをはいていた。実は彼の方は根っからのバイエルン人で、彼の家族はバイエルン語で生活している。それ故結婚パーティーではバイエルンの民族衣装を着ていたのだ。

でもこの結婚パーティーがドイツ的だとかバイエルン的だとか、僕は他にこのようなことを経験したことがないので、僕にはいっさい分からない。でもおそらく日本的ではないことは確かだ。その日、レストランに着くと午後4時というせいか、お店の中はほとんど客がいなかった。レストラン自体は貸し切りになっていないのだが、ほとんど貸し切りのような状態で、お店の人が招待客に適当にシャンパングラスを配っていた。飲み物はオレンジジュースやシャンパンなどが入っている。そこでみな、適当に挨拶などをした。僕が知っているのは主役の彼・彼女は当然だが、それ以外ではほとんどいない。知っているのは4人だけだった。それぞれがカメラ撮影や乾杯などをして、約20分後、レストラン内の会場(こちらは貸し切り)にみな案内された。そこには“コ”の字方にテーブルがセットされてあり、別にどこに座っても良い。

話はずれるが、彼女の父親は台湾で日本と関係のある会社に勤めておられるようで、日本語がかなりお上手だった。パーティーの最中、何度も話す機会があったのだが、そのときに台湾での披露宴のやり方みたいなものを色々教えていただいた。日本では披露宴のとき、招待客は新郎新婦側とも大体同じ数で、その数は招待状の返信であらかじめ出席者のめどが立つ。だから座席の順番や料理その他の準備も問題なく進めることができる。しかし台湾ではそうではないらしい。一般的に結婚では女性が男性の家族に入るので、披露宴は男性側主体で行われるとのことだ。男性側は招待客を何人呼んでもいいが、女性側は基本的にごく親しい親戚や友人などほんのわずかしか招待できないとのことだ。

しかも招待状は返信を出さないのが普通で、当日になるまで一体何人の人がやってくるのか検討が付かないらしい。また日本では出席者の数、例えば50人、100人と披露宴を申し込むのが普通のようだが、台湾では人の数ではなくて卓(丸テーブル)の数で申し込みをするらしい。だいたい一卓には10人から12人座ることができる。その上招待状をもらった人は家族などを呼んでも良いらしい。つまり一卓分12人に招待状を出したとしても、出席するのは、全員出席できた場合でも12人というわけではなく、それに家族や子供が一緒にやってきたりするから、もし全員が4人家族だったとすれば、4*12で48人出席することになる。つまり4卓必要になる。こんな風だから、座席は誰がどこに座るか全く決まっていないらしい。それで一般的には招待状を送った数のプラス50〜60人分、つまり5卓分余分に料理その他を注文するようだ。披露宴のやり方も国によって違うようで面白い。

話は戻って、台湾人の彼女とバイエルン人の彼との結婚パーティー、みなが席に着くと、まず最初にケーキカットから始まった。彼らが切ったケーキをお店の人がお皿にのせて配って、特に誰の挨拶もなしに出席者はそれを食べ始めた。今考えてみれば結婚パーティー、一度も挨拶らしい挨拶はなかった。ケーキはそのウェディングケーキ以外にも何種類か用意されてあり、自由に幾つでも食べてよい。コーヒーや紅茶も自由に注文することができる。

主役はみながケーキを食べている間に招待客からのプレゼントを開け始めた。その模様を彼の父親がビデオ撮影されている。彼の父親は一人ビールを飲み、すでに盛り上がっていた。今回結婚する彼のご両親もバイエルンの民族衣装を身につけておられる。みんなからのプレゼントの封を開けているところにみんなの視線が集まった。ドイツでは結婚パーティに関わらず、誕生日などにも色々ユニークな手作りの贈り物をするのが一般的らしい。今回も面白いものがいくつかあった。例えば一つの箱を開けると、その中にはまた箱があって、それを開けるとまた箱が・・・。と、どんどん箱の大きさが小さくなっていき、最終的にはマッチ箱の中にメッセージが入っていた・・・そんなのもあった。でもそれぞれの箱の包装紙のどこかに5マルク札が隠されていて、5マルク札を発見するたびに盛り上がっていた。また別の人(グループ?)は大きな風船をプレゼントした。その大きな透明の風船の中にはお金が一杯入っている。ほとんどはコインだが紙幣も色々混じっているようだ。日本ではそのような式やパーティーにお金をそのまま見せるのは失礼なことだと思うが、ドイツではそうではないらしい。

その後、出席者全員外に出され、その部屋では料理の準備がされ始めた。準備が終わり席に着くとそれぞれの席に料理のメニューがならんでいる。これからメインの食事が始まるようだ。僕だけでなく他の友人も、午後の4時にパーティーが始まって食べたいだけケーキを食べたから、時間的にパーティーはもう終わるのかと思っていた。実際のところ、パーティーが何時に終わるのかは見当が付かなかった。ドイツの文化に関する色々な本を見ていると、「パーティーは日付が変わっても続けられ、日付が変わる前に帰るのは失礼なこととされている」とある。と、すでにケーキを食べてお腹一杯になっているところに最初のスープが運ばれてきた。料理名はバイエルン表記になっているので、出てくるまで何が出てくるか分からない。場所がビアホールのような所だったのでビールを使った料理も出てきた。飲み物はビールが主だと思っていたが、ワインの方が多いようだった。

食事も終わりそれぞれが適当に近くに座っている人と話したり写真を撮ったりしているうちに時間はいつの間にか午後11時になろうとしている。疲れはじめている人もいたが、特に彼女のご両親が疲れておられたようだ。というのはご両親は前日にミュンヘンに到着されて、まだ時差ボケがあり、しかもパーティーでは見知らぬドイツ人が一杯いるのだから当然のことだろう。でもやはり娘の結婚は大変嬉しいようで、僕と話しているとき何度も日本語で「嬉しい」と言っておられた。今度は台湾でも彼らのパーティをされるらしい。台湾で一番おめでたい日、つまり正月(日本の旧正月)に。で、僕や友人たちは午後11時を回った頃お暇することにした。でも彼の同僚の人たちは、まだ帰る気配など微塵もない。まだ飲み物を注文し、最初から最後までずっと話し込んでいた。ドイツ人が話し好きだというのも納得できる。実際彼らが何時までその場にいたか、僕は途中で帰ったので分からないが、おそらく閉店までいたと思う。そんな雰囲気だった。普通このようなパーティーでは日本で言う2次会や3次会はないらしい。最初から最後まで同じ場所で行われる。

結婚パーティーはドイツ人が一般家庭でやる家庭的なパーティーを大きくしたようなもので、日本の披露宴のように細かいしきたりがないようだった。招待された方は特に何かをする必要がないようで気楽な感じだ。といっても日本でも家庭で結婚パーティーをやる場合、同じような雰囲気になるかもしれないが。でも僕自身、このパーティーに招待していただいて本当によかった。帰るときに彼らに礼を述べて帰ったが、思い出してみれば一度も「おめでとう」と言っていない気がする。カードやメールなどでは贈ったが、それ以外では何も言っていない。なので今、「おめでとうございます。末永くお幸せに」。

主役の二人

主役の二人
プレゼントの大きな風船

 

結婚パーティー

結婚パーティー

 

デザート

デザートとして出されたバイエルンのデザート
ムースに木イチゴのソースがかかったもの

 

 

(2000年10月17日)

 

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