やまねこの物語

日記 国歌

先月、バイエルン州立劇場の方へプッチーニのオペラ「蝶々夫人」を観に行ってきた。このオペラを観たり聴いたりした人は知っていると思うが、途中アメリカ合衆国の国歌の一部を何度か聴くことが出来る。昨年2001年はアメリカで史上最悪のテロが起こったということで、このメロディーを聴いて何か感じた人も多かったのではないかと思う。アメリカだけでなく他の国においても、その事件に対する追悼の際にはアメリカ合衆国国歌が演奏されていたようだ。

国歌は国家意識を表現することの一つの方法であり、またその国の国民にとって切り離すことの出来ないものだ。それゆえ政治的にも使われることもありうるし、色々議論を呼ぶこともある。世界中を見て現在、国歌のない国というのは存在するのだろうか。少なくとも江戸時代の日本のように鎖国政策をしていない限り、現代の世の中では何らかの対外政策を採っている国は、自らの国を象徴・意識するために国歌はあるだろう。

でも「蝶々夫人」を聴いてふと、そういった政治的なものではなくて、歌の作品の面から「君が代」に触れてみたいと思った。ちょうどそのいい機会があった。2002年3月21日(木)ミュンヘン音楽演劇大学で以下のような催しがあった。『日韓唱歌レクチャー付きコンサート』つまり、ドイツ語の歌が日本語・韓国語にどのように変遷していったか解説付きのコンサートで唱歌、オペラ、賛美歌などが実際に歌手の方によって歌われた。このコンサートは日本領事館の主催で行われるもので、2002年サッカーワールドカップ韓国日本大会関連の行事らしく、またミュンヘンと札幌姉妹都市提携30周年を記念して行われる行事の一つとされている。

コンサートではドイツから日本にもたらされ、日本語の歌になった曲、民謡では例えば「Hanatori」「Nigatsu No Umiji」「Komushi」などが、また芸術歌曲ではシューベルト作の「Utsukushi Yume」やモーツァルトのオペラ『魔笛』から「Makoto No Michi」、同じく『フィガロの結婚』から「Mo Tobumaizo Kono Chocho」などが演奏された。特に後者の芸術歌曲の方、僕はそれらの曲をドイツ語では知っていたが、日本語の歌になって存在していたとは初めて知った。また日本で革命歌「Akahata No Uta」となった作品や、逆にドイツ語に訳された日本の歌「Hamabe No Uta」「Soshunfu」などが紹介された。それぞれの作品はもちろん韓国語でも歌われた。解説の方は日本語と韓国語で話され、それがドイツ語通訳されるというものだった。

その中ではもちろん、国歌についてもあった。かつてのオーストリア帝国国歌(ハイドン作曲)が日本では「Kenpo Happu」という作品になっていたりする。またかつての韓国の国歌はフランツ・エッケルト Franz Eckert という人が作曲したものらしい。この人は明治日本でも音楽指導をし、「君が代」の編曲などにも携わり、国歌選定の際にもその4人の代表の一人となったそうだ。僕は「君が代」にドイツ人が携わっていたと言うことを初めて知り、また日本・韓国の歌がドイツからかなり影響を受けているということも知った。

コンサートは最後、日本・韓国で賛美歌になったドイツの作品が演奏され、その最後は出演者、観客全員でベートーヴェン作曲の第九を歌って終了した。(日本語名は「Ame Niwa Mitsukai」)そしてコンサート終了後、ミュンヘン音楽演劇大学のロビーでサッポロビールや日本料理、韓国料理が振る舞われ、個人的には非常に印象に残る催しだった。

ところで日本で以前国旗・国歌について色々議論されたが、そういえば戦後旧西ドイツでもそれらはなされたらしい。先に書いたオーストリア帝国の国歌は現在もドイツ連邦共和国の国歌として歌われている。この歌はドイツ第三帝国でも国歌として、その一番、二番が歌われていた。現在その一番、二番を歌うことは憲法で禁止され三番のみを国歌として歌うということになったそうだ。

そういえば国歌ではないがナチス時代ドイツ軍将校たちが歌っていた曲(軍歌)は、もともと19世紀の歌らしいが現在この曲は同志社大学歌、アメリカ・イエール大学応援歌として歌われていると聞いた。歌詞はおそらく違うだろうが海を越えて一つの曲が伝えられているというのが面白い。そういえば僕が通っていた高校の校歌もアメリカ人宣教師の作品だったと思う。いいメロディーや覚えやすいものはオリジナルの意図がどうであれ、色々伝えられていくということではないだろうか。

昨日の日韓レクチャーコンサートでも先に説明したようにドイツ人が関係しているということで「Kimi Ga Yo」も演奏された。僕はこの作品を聴いて何故だか分からないが非常に鳥肌が立った。聴いていて美しいメロディーだと感じたのだろう。曲が終わったあと僕の前に座っておられたドイツ人女性が「美しい。」と呟いたのが僕の耳にははっきりと聞こえた。

日韓レクチャーコンサートの模様

日韓レクチャーコンサートの模様
スクリーンを使って説明される

 

日韓レクチャーコンサートの模様

日韓レクチャーコンサートの模様

 

日韓レクチャーコンサートの模様

日韓レクチャーコンサートの模様
最後は全員で第九を

 

 

(2002年03月22日)

 

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