やまねこの物語

日記 コンサートで議論

先日、友人とレジデンツ・ヘルクレスザールというコンサートホールにコンサートを聴きに行った。スター・テノールでイタリアでは大変非常に人気のある Franco Bonisolli という人がメインで、彼とその愉快な仲間たちがオペラアリアを歌うコンサートだった。またこのコンサートの収益金はアフガニスタンで起こった地震への義援金となっていた。それで僕は当日学生券を買ったのだが、たいていの場合10オイロ(1000円強)なのが、このコンサートはかなり有名な人が歌うということで20オイロという、普段の倍の金額だった。

僕は予めその Bonisolli という人のビデオを友人に見せてもらった。非常にいい歌を歌う人で、そのビデオ(オペラ)でもアリアをものすごく情熱的に歌い上げ、その曲が終わると観客は嵐のようなブラヴォーで応えた。またすごいことに、この人は続けてもう一度同じアリアを歌い、しかも一回目より更に情熱的に歌っていたので、ブラヴォーの大きな波は本当にすごかった。また数年前彼はミュンヘンでコンサートをして大成功を納めたとも聞いた。僕はコンサート当日、その人の歌が聴けるというので、かなり期待して会場に向かった。友人は僕の何倍以上も期待していたようで、この日のコンサートを非常に楽しみにしていたようだった。

19時半からコンサートが始まった。Bonisolli が舞台袖から出てきたとたん、それだけでブラヴォーがホールに響く。聞けば超一流の歌手や指揮者が出てきたときは、それだけでみなブラヴォーを叫ぶそうだ。盛り上がった雰囲気の中、一曲目が始まった。一曲目はプッチーニ『Turandot』から「Nessun dorma」だった。生でその人の歌を聴くと本当に素晴らしい。そしてその歌の見せ場が近づいてきて聴衆の方も気持ちが高ぶっているときにその出来事は起こった。

なんと、いきなり Bonisolli は歌うのを止めて、指揮者(Marco De Prosperis)とイタリア語で喧嘩を始めたのだ。それでそのまま指揮台の上を通過し、舞台裏に帰ってしまった。僕をはじめ、客席の方は何が起こったのか分からない。演出かも知れないと思いながら待っていると、急に次の歌手が出てきて歌が始まった。結局この日、このコンサートの主役である Bonisolli はそのあと一度も舞台に出てこなかった。彼だけでなく、数曲歌うはずであった「愉快な仲間たち」のうちの一人(バリトン)も出てこなかった。だからコンサートは休憩までの前半があっという間に終わってしまい、指揮者が「休憩!」と言ったところで客席からブーイングが出た。

後半が始まったとき、まず最初にホールの監督、そしてこのコンサートの開催責任者、(最後に指揮者)が舞台に出てきて挨拶をし始めた。と同時に客席の方からも Bonisolli の出演に関する色々な質問や意見が出され、結局20分近く議論になってしまった。後ろの方の席の人は「提案がある」と大きく叫んでるし、またホールのざわめきに対して「黙れ!静かに!」と叫ぶ人や、開催者などに向かって「もっと大きな声で話せ」「マイクを使え」「引っ込め!」「イタリア人!」など色々ヤジを飛ばしている人もいた。でもみんなが望んでいたのは「Bonisolli を呼んできてくれ!」ということで、この発言の時に大きく拍手が起こった。

ところでコンサートで議論と言えば、以下の話を思い出した。話はずれるが、昨年2001年7月にイスラエルのエルサレムで開かれたイスラエルの大芸術祭「イスラエル・フェスティバル」のことだ。このフェスティバルでドイツ・ベルリン国立歌劇場管弦楽団(ダニエル・バレンボイム指揮)がヴァーグナーの作品を演奏した。ヴァーグナーの作品はドイツの民族主義を称揚し、ナチスに思想的な影響を与えたとして、戦後は反ユダヤ主義の象徴としてイスラエル国内での演奏は禁じられていた。

イスラエルでヴァーグナーの作品を演奏することは禁止されていたが2000年10月イスラエル最高裁が「表現の自由」ということで、イスラエル国内でのヴァーグナー作品の演奏を公式に初めて許可した。それを受けてかどうか僕は分からないが、フェスティバルで同楽団はアンコールでヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲を演奏した。その際、指揮者は観客に向かって「アンコールにヴァーグナーはいかがですか?」と尋ねたそうだ。するとコンサート会場のほとんどの人が拍手で応えたそうだが、また同時に抗議の声も挙がったそうだ。指揮者はユダヤ人なので、観客とヘブライ語で30分にわたって議論し、結局「不快に思う人は立ち去ってくれていい」ということで、演奏が始められた。一部の人は演奏が始まる前に、また一部の人は演奏中に「ファシスト!」と叫び席を立ったそうだが、結局、演奏は最後まで続けられ演奏が終わると聴衆は皆立ち上がって拍手をした。会場にはホロコースト生存者の人も多くいたそうだが、「反ユダヤ主義のヴァーグナーの考え方には反対だが、彼の音楽に反対しているわけではない」と言う意見をもっていた人もいたそうだ。

僕がレジデンツ・ヘルクレスザールで体験した「コンサート中の議論」とイスラエルのものとでは意味的に大きく違うが、どちらもいい歌を聴きたいということに変わりない。ヘルクレスザールでのコンサートは結局、聴衆と関係者が議論したところで、主役の Bonisolli が出てくるということは無かった。このコンサート、結局払い戻しもなく、予定されていたうちの半分近くの歌だけで終演となった。何か消化不良のような納得いかないものを感じたが、逆に言えば珍しい(というか、本当はあってはならない)コンサート中の、舞台上での喧嘩や議論を体験することが出来た。

僕の友人はかなり楽しみにしていたようで、彼はその思い出に残るであろうコンサートの前に食べようと、手作りで焼きおにぎり、ハンバーグなどを用意してきてくれ、またデザートも用意してくれていた。そのコンサートの次の日はその友人の誕生日だったので、普段以上に気合いが入り、友人にとっては本当に楽しみにしていたコンサートだったのだろう。コンサート終了直後、彼の目が非常に悲しそうだった。

雪の日のレジデンツ・ヘルクレスザール入り口

雪の日のレジデンツ・ヘルクレスザール入り口

 

テレホンカード

ヴァーグナーがデザインされたテレホンカード

 

(2002年04月08日)

 

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