やまねこの物語

日記 バイエルン語でオペラ

先日、ミュンヘンにあるゲルトナープラッツ州立歌劇場に、ある演奏会を聴きにいった。タイトルは「Opern auf Bayrisch バイエルン語によるオペラ」というもので、有名なオペラをバイエルン語にアレンジしたものが演奏されるというものだった。当日のプログラムはヴェルディ『アイーダ』『リゴレット』、ヴァーグナー『マイスタージンガー』。月刊プログラムなどで時々この「Opern auf Bayrisch」を目にしていて聴きたかったのだが、今回時間的に余裕があり初めて行く機会に恵まれた。そこでチケットを予約しようとしたのだが、この演奏会は人気があるのか、良い席は全て売り切れており、結局僕が購入できたのは横の方の席だった。

演奏会当日、きっとバイエルンの民族衣装を着た人達が大勢いるに違いないと予想して行ったものの、劇場にはそういった服装をしている人は少なく、ほとんどの人は普段オペラを聴きに行くような格好をしていた。ところで立ち見席にも人がいる。想像していた以上に人気のある演奏会のようだ。が、しかしバイエルン語でのオペラ、どのように演奏されるか僕には予想が付かなかった。オーケストラや合唱はいるのか?有名なオペラアリアだけを歌うのか?劇場で無料で配られていた当日のプログラムを見ると3人のソリスト(ソリストは歌手だと思っていたのだが、プログラムには俳優、女優とある。)と打楽器の人、指揮者だけがそこには書かれてある。

歌劇場内に入って気付いたのだが、緞帳の前にオケの人達用の椅子があり、オケピット上に舞台が設置されてある。おそらく演奏会形式で行われるのだろう。ベルが鳴ったあと歌劇場の照明がほんの少しだけ暗くなった。そういえば劇場入り口にはタイトルと同名の本が売られていたので、それを見ながら聴く人がいるのだろう。暫くするとオーケストラの人たちが登場してきた。オーケストラといっても弦楽器1人、打楽器1人、シタールのような楽器1人、木管楽器3人、金管楽器5人というものだった。アコーディオン奏者はいないが金管楽器が多く、まるでビアテントのようだ。その編成でどのようにしてヴァーグナーやヴェルディの作品が演奏されるか始まるまで大変興味があった。そこにソロの打楽器奏者1人とソリスト(俳優2人、女優1人)、指揮者が登場してきた。

出演者の挨拶があり、笑いが少々起こって和やかな雰囲気のなかオーケストラによる演奏が始まった。バイエルン風、つまりビアテント風にアレンジされた『アイーダ』が始まった。と思ったら、いきなりマイクでオペラのストーリーがドイツ語で説明された。よく見てみると舞台の右前に机があり、そこに3人のソリストが座っている。彼らはそこで、まるでナレーターのように解説をする。オペラのあらすじは本物のオペラと基本的には同じだが、場所などの設定がオリジナルとは異なり、ミュンヘン郊外であったりする。内容も若干装飾されている。例えばエジプトの王がマスジョッキ(1リットルのジョッキ)を2杯飲んだ、といった風に。この演奏会は形式的にはつまり、ソリストの彼らがナレーターや会話をし、その合間に演奏が入るといったものだった。演奏がバイエルン風にアレンジされ、会話がバイエルン語でなされる。

説明はドイツ語でなされるが会話はバイエルン語で、しかも話の「おち」もバイエルン語だったので、僕にはさっぱり理解できない。バイエルン語で話されるとき、内容が非常に面白いようで劇場内の人達は笑っている。劇場には一般的なオペラと同じように若い人から歳取った人までいた。ほとんどの人達はその会話を理解しているようだ。僕は話の最後の一番重要な箇所が理解できないのが悔しかった。しかし音楽の方はオペラのテーマがバイエルンのビアテント風に演奏され、またソロの打楽器奏者が面白可笑しく、色々な小道具、例えば長靴、フライパンを使って音楽を表現していた。それは見ていて面白かった。

演奏会は3つのオペラのあと、アンコールでプッチーニ『蝶々夫人』が演奏された。やはりオリジナルとは場所設定などが違うようだ。これも観客には好評だったようで、終わったあとかなりの数のブラヴォーが飛んでいた。この演奏会、バイエルン語を理解することが出来ればもっと楽しむことが出来たと思う。

ところでドイツ第三帝国の時代、ナチスの党大会や重要な会議では必ずと言っていいほどヴァーグナーの作品が演奏され、ヴァーグナーの作品はドイツの民族主義を称揚し、国民に民族主義的思想を与えるのに大きな役割を果たした。つまりヴァーグナーの作品はドイツ民族にとって絶対的なものとされていた。そのヴァーグナーの作品が、今回僕が聴いた「バイエルン語によるオペラ」でのようにビアテント風に面白可笑しくアレンジされるということは当時可能であったのだろうか。公共の場で演奏されれば、決してそのような気はなくても「ドイツ民族を小馬鹿にしている」と取られたのではないだろうか。「表現の自由」ということの大切さを改めて思った。

舞台

舞台

 

打楽器

打楽器

 

演奏会後わりの挨拶

演奏会終わりの挨拶

 

 

(2002年06月10日)

 

menu
「日記」のトップに戻る