やまねこの物語

日記 大学での授業

僕は現在、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学(ミュンヘン大学)で歴史(ドイツ近現代史、バイエルン史)を専攻している。僕がドイツの大学で初めて出た授業は、バイエルン史のある講義であった。それは『ナチス時代のバイエルン』といったものだったが、その初日、教室を訪れて僕は非常に驚いた。僕は講義の始まる20分前くらいに教室に入ったのだが、そこにはかなりの数の受講生がいた。しかし彼らは明らかに「学生でない」人であった。つまり中年や老人といった世代の人達である。

ドイツの大学は、専門や学部によって違うが一般的に授業料無料で在籍年数も特に決まっていないから、大学生といっても、それほど若くない人の姿もよく見かける。平均卒業年齢が30才近いという話も耳にする。が、僕が初めて出た授業は、そういった人達ではなく、どう見ても中年や老人である。教室の後ろから見ると、髪型などから明らかにそれがよく分かる。(よってこの文章では彼らを「老人」とします。)

僕が初めて出た講義『ナチス時代のバイエルン』には老人の数がかなり多かった。やはり本人や彼らの家族が生きた時代について知りたいという人が多いのだろう。その時代は彼らにとっては「過去」ではなく「現在」の一部と言えるかも知れない。その次ぎに僕が出た授業はまたバイエルン史の講義であったが、それは『選帝候フェルディナント・マリアの時代』といった感じのもので、1600年代、つまり17世紀中頃から後半にかけての時代だ。僕は講義の行われる教室に入ったのだが、またしても驚いた。そこには初めに出た講義よりも多くの老人がいたのである。

いくら歳取った人が多いといっても、17世紀から生きている人はいない。その後バイエルン史の幾つかの講義に出たが、そのどの講義にも老人の数は多かった。内容が12世紀のものでも、現代のことでも、とにかくバイエルン史の講義には多くの老人が出席していた。割合的には、講義にもよるが、老人10に対して学生1の割合だ。明らかに老人が多い。だから僕はバイエルン史の講義のことを友人に話す際、「老人会」といつも言っている。ただ講義には多くの老人がいるが、同じバイエルン史でもゼミや演習の授業には老人の姿はない。教授くらいだろうか。

他の歴史の授業、ドイツ近現代史、中世史、古代史の講義を覗いてみたが、若干老人がいるものの、その数は両手で足りる。バイエルン史だけ多くの老人がいる。他の学部の人やミュンヘンの他の大学(工科大学、音大)の人に聞いても老人の数は少なく、全く見たことがないということもあった。老人が多いというのは、どうやらバイエルン史に限られたことかも知れない。といっても僕はバイエルンの他の大学のバイエルン史の授業については分からないから、それだけでバイエルン人が自分の郷土に関心があると断言は出来ない。

しかし、ミュンヘンを見る限り、自分の生まれた地域や今住んでいる地域、すなわちバイエルンに関心・興味を持つ人が多いと感じる。それだけ自分の街に愛着や誇り、過去に対する想いを持っていると言えるかも知れない。それゆえ戦争で破壊された街を元通りに再現しようという運動になるのだろう(このことはミュンヘンに限ったことではないが)。彼らは今生きている「現在」を過去から続く流れの一部と見ているかも知れないし、言い換えれば「過去」は決して「過去」ではなく、大きな意味で「現在」の一部かも知れない。

それ故、一方で伝統を大切にするという面で保守的になるのかも知れないし、他方で自分の誇る街を訪れる人に対して「よこうそ、我が町に来てくれた!」と歓迎し、受け入れるという気持ちが起こるのかも知れない。それはバイエルンのビアガーデンやビアホールでよく見られる長椅子で見知らぬ人達と相席になって一緒に盛り上がるという文化に表れている気がする。

いずれにしても歳取ってから、大学で学べるという環境は素晴らしい。大学の方もそれを受け入れる。それだけ大学と市民は身近な関係にあるのだろう。「老人会」を見ていると、おそらく退職した人達が多いと感じるが、彼らには時間があるのだろう。しかし時間があるだけでは授業に出るのは難しい。そこには好奇心、関心などがあると思うが、なにより「ゆとり」があるのだろう。老人たちは講義中、学生と同じようにノートを取っている。バイエルン人(ドイツ人)は勤勉だと言えるかも知れないが、歳取ってから勉強しようという気持ちを起こさせる、豊かさがあるのかも知れない。

講義の始まる前

講義の始まる前

あるバイエルン史の講義。授業が始まる約20分前。この教室には約130席あるが、その時点で既に満席で、それ以降に来た人は、まるで小学校の授業参観のように後ろや横に立って授業を受ける。最終的にこの講義は30人ぐらいの立ち見(立ち聞き)が出る。
 

ミュンヘン大学

ミュンヘン大学

(2002年11月20日)

 

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