やまねこの物語

日記 過去への意識

2002年クリスマス・イヴの日、友人たちと一緒に幾つかの教会のミサを訪れた。僕を含めその日の友人たちの誰もがキリスト教徒ではないが、ドイツのクリスマスの雰囲気を楽しもうと教会を回ってみた。どの教会も礼拝堂の隅まで一杯になるほど人であふれていた。キリスト教徒がクリスマス・イヴの日、教会に行くのは、日本人が正月、初詣に行くのと同じようのものかもしれない。その日は本当に多くの人が教会を訪れていた。礼拝堂の中で僕が思っていたのは、第二次世界大戦の空襲で教会が破壊され、戦後しばらくは教会がなかったことに対し、当時の信者の人はどのように思っていたのだろうかと言うことだった。ミュンヘンの旧市街内にある教会のほとんどは空襲で天井が崩れ落ち、元通りの姿になるのに数年の年月を要した。その間もクリスマスは来るだろうし、信者にとっては、例えば不便ではなかったのだろうか、などと考えていた。

教会を再建するとき、極端に言ってみれば、新しい教会は以前と同じようなものではなく、祈りの場という意味では体育館のようなホールでもよいかも知れない。しかしほとんどの教会は、戦後、戦前と同じ姿のように再建された。教会だけでなくレジデンツなどの宮殿などもそれに当てはまる。もしかするとそれらの行為は戦後の不安な中で、自分の拠り所、自分らしさを過去に求めていたのかも知れない。ドイツ人、少なくともミュンヘンの人達は過去への意識が強いとも言える。実際のところ、第一次世界大戦でヴィッテルスバッハ王朝が倒れたあと、ミュンヘンにはその復活を願う人が多かったようだ。

ところで先日、友人と一緒にオーストリア人カップルの家に食事に招待された。彼ら(学生)の家に入って非常に驚いた。そこにはオーストリア人の彼の趣味もあるだろうが、家中骨董品だらけで、とても学生の家とは思えない。博物館の中に住んでいると言っていたが、まさしくその通りだ。彫刻や絵画、家具もアンティークで、壁には剣が飾ってある。しかもそれらの数は一つではない。また多くのドイツ人がやっているように、壁には本人の先祖や出身地の写真、絵画が幾つも掛けられてあった。ナチスの制服に身を包んだ彼の祖父の写真や家族の写真、またそこにはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの写真も何枚も掛けられてあった。彼は君主主義者だそうだが、古き時代への意識が強いようだ。

彼が何故そのような思想を持っているか詳しくは僕は知らないが、少なくとも何か象徴のようなもの、つまり民族、国家のアイデンティティーを表すようなものを欲しているのだろう。それは彼がオーストリア人だからかも知れない。言い換えれば、彼はドイツに住むドイツ人とは違うという意識を持っているのかも知れない。僕はバイエルン史を勉強していて以前の日記「大学での授業」でも書いたが講義には多くの年輩の人が参加している。彼らも自分が住んでいるバイエルン(の歴史)に大きな関心を持っている。人が多く集まる講義はやはりヴィッテルスバッハ家に関するものが多い。このことはバイエルンのアイデンティティーを知ろうと意識している人が多いようにも感じられる。

これらのこと、過去への意識の強さは自分のルーツに対する意識かも知れない。例えば文房具屋に行くと、空欄になった家系図のようなものが販売されている。自分が何処から来たかということに対し、もしかするとドイツ人は意識が高いのかも知れない。逆にそれらのルーツ(過去)を否定することは、現在の自分をも否定することに繋がる可能性もある。つまり「過去への意識」と書いたが、実際にはその意識は過去へ向かっているのではなくて、自分そのものに向かっているとも言うことが出来る。これらのこと、言い換えれば自分は過去から存在しており、またこれから未来にも存在している。教会でのミサの間、そのようなことを考えていた。教会はこれから何十年、何百年後も現在と同じ(以前と変わらぬ)姿をしているだろう。

選帝候マクシミリアン1世像

選帝候マクシミリアン1世像
 

皇太子摂政ルイトポルト像

皇太子摂政ルイトポルト像


(2002年12月27日)

 

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