やまねこの物語

日記 クリスマス、大晦日、新年2003年

個人的な日記です。この期間で大変だったのはパソコンのモデムがハード的に壊れたこと(2002年12月中旬に壊れ2003年1月7日復旧)。その間インターネットに繋ぐのに大変苦労した(実際のところ苦労して希に繋ぐことは出来た)。ネットは生活の一部になっていたので、それがなくなるとやはり困った。この2002年のクリスマス前から2003年1月6日三賢王の祝日までの、大学の冬休み期間を振り返ってみると、文字通り勉強を「休んで」いた。パーティーや食事に招待していただいたり、また友人と会ったりコンサートや映画を観に行ったりした。しかし逆に予定が入っていない日は一日中、本を読んでいた。また小さな仕事を幾つかさせていただいた。非常にメリハリのある期間だった。

クリスマスマルクト
マリエン広場
2002年11月29日にミュンヘンのクリスマスマルクトが始まった(一部は28日。マリエン広場のもみの木が29日にライトアップされクリスマスマルクトの開始。写真は初日のもの。雨)。29日から12月24日まで開かれるクリスマスマルクトに僕は友人たちと何度か訪れた。この冬は気温が氷点下になる日も数えるほどしかなく、まさしく暖冬だった。僕はこの期間、グリューワインというホットワインを飲み、ソーセージや南米の料理、甘いものを食べたりした。グリューワインにラム酒の入ったものが特に美味しかった。

今回2002年のクリスマスマルクトで一番思い出に残ったのは、友人とマルクトを回っているとき、ミュンヘンで引越をした(その場にいない別の)友人への引越祝いに最適なものを見付けたことだ。一緒にいた友人と購入しようと言うことになったが値段が高い。そこでお店の人に安くならないか聞くと、お店の人はその作品の制作者ではないから分からないので、制作者が来る翌日にもう一度来てくれと言われた。それで翌日再度友人と出向くと、前日と同じ人が店番をしていて「今、制作者は席を外しているから後で来て欲しい」とのこと。そして暫くしてからお店を訪れると、制作者はそこにいたが、欲しかった作品は既に売れた後だった。そこで制作者に、次はいつ、その僕たちの欲しい作品が出来るか伺うと、2日後とのこと。というわけで2日後、また訪れると店頭にはその作品がまたしてもなかった。

来るのが遅すぎたか、と思いながら他の作品を見ていると制作者の方が「君を待っていたんだ」と、まだ作る前の部品類を奥から取り出し、それぞれの部品毎に僕の好きな色や形を選ばせてくれ、その場で制作してくれた。時間は少しかかったものの、僕が来るのを待っていてもらったのは嬉しかったが、僕は安くしてもらうと思っていたので少し申し訳ない気持ちもあった。完成したところで、少し安くして欲しいと希望の金額を言った。実際にその金額にはならなかったが、最終的に1割以上安くしていただいた。今回のクリスマスマルクトで僕が購入したのは、友人へのこの引越祝いだけだったが、色々なお店を見て回るのは楽しい。この冬は2001年の冬と違って寒いと感じる日が少なかったので、クリスマスマルクトへの人出も多いように感じられた。グリューワインのカップ

 

2002年クリスマスマルクトのグリューワインのカップ。左がマリエン広場などで使われているもの。右がシュヴァービングのマルクトのもの(ミュンヘンヘナーフライハイト)。

 

 

クリスマス休暇
他のヨーロッパの国について僕は分からないが、ドイツはクリスマスの12月25、26日が祝日となる。実際にはその前日の24日午後2時頃から休みになる。その時間にクリスマスマルクトも終わり、銀行やデパート、スーパーなどのお店も閉まる。24日は、お店によってはカフェやレストランも休みになる。また美術館、博物館だけでなく映画館も閉まるところが多い。その24日、僕は友人たちとクリスマスマルクト最終日を回った後、カフェを訪れた。事前にそのお店は夜まで開いていることを確認してお店に行ったが、夕方頃になると予約客のためのセッティングが始められた。この日の夜は全て予約席のようだ。カフェを後にして夕食を食べられる場所を探したが、ほとんどの店が閉店だった。アウグスティーナーをはじめ幾つかのドイツ料理(ビアホール)や、マクドナルドなどのファーストフードのお店も閉店だった。色々回ってみるとクリスマスとあまり関係のない、中華料理やインド料理のお店は開いていた。また観光客向けのビアホール(ホーフブロイハウス)は普段通り営業していた。

24日夜は家庭で過ごす人が多いのか、街の中心部マリエン広場やその周辺の歩行者天国も人通りが少なく、普段に比べるとかなりひっそりとしているように感じられた。僕と友人たちは中華料理のお店に入ったが2時間ほどでお店を出ることになった。というのは、24日は営業しているお店がかなり少なく、客の回転をよくする必要がある。お店の人が言うには「24日と大晦日の日だけは回転を早くする」とのこと。お店を午後9時過ぎに出たが、そのころから、街中には多くの人が見受けられた。教会でのミサに参加する人たちだ。ミサは午後10時や10時半、教会によっては0時から始まるようで、大体の教会はミサの始まる1時間前に教会を開けるとのことだった。それ故午後9時頃には人が多かったのだろう。僕たちは幾つかの教会のミサを覗き、最後に「きよしこの夜」を歌って教会を後にした。

25日は日記「レープクーヘン」でも書いたが、僕の家でレープクーヘンパーティーをした。といっても、もちろんレープクーヘンだけを食べていたのではない。友人たちとシチューを作ったり、また友人がケーキを焼いてくれてきたので、それらを楽しんだ。26日は映画を観に行ったが、祝日だったのでデパート、スーパーなども休みで、それ故、映画館には多くの人が訪れていた。

大晦日・新年(正月)
2002年の大晦日は友人たちと年越しそばを食べようと計画していた。しかしその前にラクレットをしようということになった。ラクレットは料理の種類で、各自が小さな鉄板でジャガイモやチーズなどを焼く料理である。先に書いたもの以外に、ニンジン、タマネギ、アスパラガス、キュウリ、シーチキン、ハム、ベーコンなどを焼く。各自が自分のペースで焼くことが出来るのが良い。結局僕たちは約5時間、ワインなどを飲みながらラクレットを食べていた。午後11時頃外が花火の音でうるさくなり始めた。みな新年へのカウントダウンで花火を上げている。僕たちも花火を持って外に出たが外は雨が降っていた。傘を取りに帰り、近くのオリンピック公園まで歩いていくことにした。

オリンピック公園には雨の中、多くの人がいて、打ち上げ花火をしている人やネズミ花火をしている人達がいた。オリンピック公園にはオリンピック山(海抜564m)という山があり、山頂からミュンヘン市内を望むことが出来る。2001年の大晦日も僕はここへ登り、地平線上を埋める花火をよく見ることが出来た。2002年の大晦日僕たちも花火を持って山頂へと向かったが、既にそこにはかなりの数の人がいて、とても自分たちで花火を上げられるような状態ではなかった。山頂には柵があるが人が溢れていて、その外側(斜面部分)にも人がいた。僕たちもそこでしか場所を確保できず、結局その時は一度しか花火を上げることが出来なかった。僕は雨の中花火の写真を撮ったが、上手く写すことが出来ず失敗だった(下の写真はオリンピック山山頂からオリンピック塔方面、つまり市の郊外方面)。

花火天候は雨でしかも霧がかかっているので、また多くの人が花火を上げていたので、その煙で日付が変わる頃にはオリンピック塔の上半分も見えなくなっていた。僕は傘を差していたが、降ってきた花火の残骸が傘に穴を開けて地面に落ちた。直ぐ側には火を付けた花火を手に持ちながら「これは爆弾じゃない」と言っている危険な人もいる。またシャンパンを持っている人、グラスに注いで飲んでいる人、携帯電話で話している人など、本当に多くの人でごった返していた。そのような状態で僕たちは斜面のところにいたが、斜面は雨で非常に滑りやすくなっており、友人が滑り落ちたりもした。

そのような状況の中、2003年を迎えた。特にカウントダウンもなく皆がそれぞれ自分の時計を見ながら、もうそろそろか?といった感じで新年を迎えた。その2003年になったときに多くの人が花火を上げたり、また(挨拶で)抱き合ったりして人が動き始めた。そのような状況で一緒にいた友人のうち、2人がはぐれてしまった。電話をしても全く通じない。というより人が多く、また花火の音などで電話の音が聞こえないといった方が正しい。雨が降る中、声を上げて友人たちを探したが、とにかく人が多いのでなかなか見付けることが出来なかった。しかし午前一時頃、一人の友人を山の中腹で、もう一人をオリンピックスタジアム前で発見し、みなが再会して、そこで初めて新年を祝うことが出来た。その後雨が降っているにもかかわらず、近くで花火を上げた。

それから友人宅へ戻り、年越しそばをその時になって作りはじめ、また天ぷらを揚げ始めたので、午前3時過ぎにようやく年越しそばを食べることが出来た。外ではまだ花火の音が鳴っている。結局僕たちは午前8時半まで友人宅で年越しのパーティーをしていた。朝友人宅から帰るとき、外には打ち上げ花火に使ったと見られる瓶や、花火のかすなどが辺り一面に散乱していた。

大晦日の年越しパーティーから家に帰り、少し寝た後、また別の友人たちと会う予定があったので夕方、集合場所であるマリエン広場に出かけた。その時驚いたのは、前日大晦日に上げられた花火のかすなどが、既に掃除され、その日の午前中に比べるとかなり綺麗になっていたことだ。元旦の日に働いておられる人もいるのだ。友人たちと会い、新年の挨拶をした。このあたりは日本でも全く同じだろう。その後夕食に行くことになっていたが、僕たちは何処のお店に行くか知らなかった。市庁舎地下にあるラーツケラーというドイツ料理のお店や近くのカフェなどもクリスマス・イヴ同様閉店だった。お店の心配をしていたが、聞けば友人が既に予約してくれているとのこと。

オリンピック塔上にある回転レストランというわけで友人たちと予約されているお店へと向かった。お店はオリンピック公園にあるオリンピック塔上にある回転レストランだった。そこからからは街の中心部まではっきりと見ることが出来、雰囲気的に非常に良い場所であった。回転レストランは約一時間かけて一周するようだ。デザートまで食べた後その場を後にした。

最初にも書いたが、この期間は本当に勉強を休んで遊んでいた。しかしそれは言い換えれば僕はそれだけ色々な友人や知人に助けてもらっているということだ。みなさん、本当にどうもありがとうございます。2003年度も宜しくお願いいたします。


(2003年01月12日)

 

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