やまねこの物語

日記 2003年1月上旬

2002年12月は例年より暖かい日が多く、最低気温が氷点下になる日もかなり少なかった。最高気温が10度以上の日が何日もあり文字通り暖冬であった。雪もちらつく程度で積もるということはなかった。気温が高いので雪ではなく雨が降り、それゆえドイツの一部の街では洪水による被害が報告されていた。この時期、北ドイツでは凍った路面による被害が、南ドイツでは暴風による被害があった。ミュンヘンでもテレージエンヴィーゼにあるトルウッド用のテントが強風で壊れたり、電車(S-Bahn)も止まるなど影響がでた。また市庁舎前のもみの木も倒壊の危険を防ぐため予定(1月6日)より早く撤去された。
魚の噴水2002年12月は暖冬だったが、2003年が明けたとき、5日頃から急に気温が低くなり5日早朝から雪が降り始めた。気温が低く、降った雪は積もったままで、そのまま気温の低い寒い日が続いた。ドイツの一部の街にあった洪水の心配は少なくなったが、積雪や路面凍結による事故の被害などが報道されていた。ミュンヘンでも雪が積もった歩道には砂利がまかれ、前年12月からは想像できない寒さとなった。気温は最高でも氷点下で最低はマイナス15度前後と天気予報などでは言っている。気温が低いので歩道にも凍った箇所が幾つも見受けられた。ミュンヘンの街の中心部マリエン広場にある、魚の噴水の水(一部)やオリンピック公園にある湖も凍っていた。

ところで12日日曜日、朝の予報ではミュンヘンのその日の気温は最高がマイナス5度、最低がマイナス17度となっていた。僕は時間があったのでニンフェンブルク城まで出かけることにした。ニュースなどでニンフェンブルク城の運河が凍っていると報道されていたからだ。毎年ではないものの、ここはよく凍るらしく、運河のところでスケートをしている人たちの映像などがテレビや新聞で報道されていた。

というわけで、僕はその寒いという予想の日、ニンフェンブルク城まで出かけたが、その運河では報道通りスケートやホッケー、ソリ遊び、散歩をしている人達がいた。また競技名を僕は知らないがカーリングのようなものもなされていた。僕は早速凍った運河の上を歩いてみたが、氷はかなり分厚いらしい。というのは所々削られていたが、数センチ掘られた程度では氷は全く割れていなかった。スケートをしている人が多かったがスケート場と違って柵がないので、つまり掴まる場所がないにもかかわらず、みな上手く滑っていた。時には転んでいる人達の姿もあった。と言いつつ僕も氷で滑って転んでしまった(僕はスケートをしていません)。凍った運河の上を宮殿の方へと歩いたが、スケートやホッケーをしている家族連れの姿がよく見受けられた。大人も子供も同じように楽しんでいるのが良い。

以下の写真、オリンピック公園のものは2003年1月上旬のもの。
ニンフェンブルク城のものは全て2003年01月12日(日曜日)のもの。

オリンピック公園

オリンピック公園
湖が凍っている。以下4枚同様。

オリンピック公園

オリンピック公園

オリンピック公園

オリンピック公園

オリンピック公園

オリンピック公園

 

ニンフェンブルク城

ニンフェンブルク城

ニンフェンブルク城運河

ニンフェンブルク城運河

ニンフェンブルク城運河

ニンフェンブルク城運河

ニンフェンブルク城運河に架かる橋

ニンフェンブルク城運河に架かる橋

橋の下

橋の下 

ニンフェンブルク城運河

ニンフェンブルク城運河

競技をする人達

競技をする人達

ニンフェンブルク城

ニンフェンブルク城 

白鳥

白鳥 

(2003年01月13日)

 

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