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おでかけ ドイツ・ゼーオン〜ヴァッサーブルク |
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ヴァッサーブルクは正式にはヴァッサーブルク・アム・インという名前で、イン川側のヴァッサーブルクという意味である。このヴァッサーブルクの場所でイン川が大きく曲線を描いており、まるで半島のようになっている。ヴァッサーブルクの街は1137年に文書でその存在が確認されている。1247年にはバイエルン大公ルートヴィヒ(後の大公ルートヴィヒ2世厳格公)がこの地を治めることになり、そこからヴィッテルスバッハ家による統治が始まった。 この地はイン川を行く塩の交易によって繁栄した。イン川の対岸から街を見ると、街はまるで要塞のようにも見え、特にローテ・ブリュッケの先にあるブルック門が強固な砦の入口を思い浮かばせた。また街中を歩いてみると、立派な建物が多く、如何にこの街が裕福だったか分かる。それだけ塩の交易は重要だったのだろう。1876年にこの地方に鉄道が開通してから、イン川を使った船の交易は次第に廃れていき、ヴァッサーブルクを経由しない鉄道輸送に切り替わった。時代の流れと言えるが、それから交易におけるヴァッサーブルクの重要性が無くなっていく。しかし言い換えれば、そこで街の発展が止まってしまったのなら、それだけ文化財的建築が多く残されていると言うことである。 既にここを訪れたことがある知人の方に街中を案内して頂いた。今回の小旅行ではお世話になり本当に感謝である。ヴァッサーブルクの街中では雨が降っていた。傘を差して歩いた。通りにはオープンカフェも出ていたので、それまで強い雨は降っていなかったのだろう。聖ヤコブ教会、聖母教会ともに格子が閉まっており、礼拝堂の中には入れなかったが、それでも格子の間から中を覗くと、そこからも街の裕福さが窺い知れた。 ところでこの街を歩いていると、ヴァッサーブルクの紋章を何度も目にした。それと同じくバイエルンの紋章も良く目にする。大公や選帝候などヴィッテルスバッハ家の名前を目にする機会も多く、またミュンヘンで活躍したヨハン・バプティスト・ツィンマーマンが手がけた建物があるなど、ヴァッサーブルクとミュンヘンの強い結びつきが感じられる。バイエルンにおいてそれだけこの街は重要な位置付けにあったと分かる。今現在、人口約12.500人(2005年6月)のヴァッサーブルクの街は、バイエルンの他の街に比べるとそれほど馴染みがないように感じられる。電車で直接市内に行けないと言うことも影響しているだろう(バスを利用)。しかし言い換えれば、そういったところにはまだ人に知られていない魅力が多いにあると言える。こういった街を時間をかけて回ってみるのも面白いに違いない。ミュンヘンへの帰りも雨だった。それは眠っている歴史を呼び起こそうとしているような雨に感じられた。(2006年5月下旬、ドイツ・ゼーオン〜ヴァッサーブルク編完)
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