やまねこの物語

日記 Jakobi Dult

ポスターこの日記は「Auer Dult」(2004年10月31日更新)関連です。


2005年7月30日(土)から8月7日(日)まで、マリアヒルフ広場でヤコビ・ドュルトが開かれた。これは春、夏、秋と年に3度催される、Auer Dult(アウアー・ドュルト)というミュンヘンで最も知られた骨董市の一つで、1905年にマリアヒルフ広場で開催されるようになってから、今年はちょうど100年目に当たる節目の開催だった。

ヤコビ・ドュルトは1310年(もしくは1312年)に現在、聖ヤコブ教会が立つ聖ヤコブ広場で催されたとミュンヘン史の年代記に記されている程その歴史は古い。その後ヤコビ・ドュルトは、様々なところに場所を移して続けられた。旧市街地内のカウフィンガー通りとノイハウザー通り(1791年から)、プロメナーデ広場(1801年から)、マックス・ヨーゼフ広場(1803年)、マクシミリアン広場(1822年から)、ハイトハウゼンのヨハンニス広場(1873年から)、そして1905年に現在のマリアヒルフ広場で開かれるようになった。

ところで今年のヤコビ・ドュルトの期間は、8月上旬にもかかわらず気温が低く、とても夏とは思えない日が続いた。7月は最高気温が30度を超える日が続いたが、月末になると涼しく、また肌寒く感じられる日が多くなった。ヤコビ・ドュルトの期間中、気温は最高25度まで上がったが、寒く感じられる日が多く、雨が降っていた日、正午の気温は街中の温度計を見ると9度となっていることもあった。気温が低かったので、このヤコビ・ドュルトを訪れている人も長袖を着た人が多く、中にはセーターや革のコートを着た人も目にした。

その気温の低さによって来場者の数も少なくなるかと思われたが、新聞を見ると今回のヤコビ・ドュルト100周年には10万人以上の来場者があったとのこと。確かに会場の幾つかの小さな路地は時には身動き取れない程に混雑していた(ちなみに2004年10月のキルヒヴァイ・ドュルトの来場者数は約96.000人)。そういえば今回のヤコビ・ドュルトでは「ドイツ・マルクの日」が設けられ、現在のユーロが流通する前の通貨ドイツ・マルクでの買い物も可能という日があった(1ユーロ=2マルク)。以前新聞で読んだ記事には、マルクを所有している人の数は未だ多く、かなりの額のマルクが換金されていないと言うことだ。ちなみに自分もその一人である。手元に置いている理由は、今は流通していないからといった単なる珍しさだけではない。そこには実際の金額以上の価値があると思われる。

ところでヤコビ・ドュルトを訪れてみると、骨董市という名の通り、色々な骨董品が店頭に並べられているのが分かる。古書や古い食器、家具など、まだまだ利用出来るものもあれば、本来の目的ではなく飾り物としてしか使い道がないのではと思われる、古い年代物の黒電話や錆びたアイロンなども売られていた。しかもそれほど安くない。どういった人が購入するのか具体的には分からないが、例えばその中に錆びたアイロン以上の価値を見出している人が購入していくのだろう。骨董市はお金では計れないモノの価値を見直す良い機会かも知れない。

ヤコビ・ドュルトとマリアヒルフ教会

ヤコビ・ドュルトとマリアヒルフ教会

ヤコビ・ドュルト

ヤコビ・ドュルト

ヤコビ・ドュルト

ヤコビ・ドュルト

それぞれの路地の看板

それぞれの路地の看板

ヤコビ・ドュルト

ヤコビ・ドュルト

店頭に並ぶ品々

店頭に並ぶ品々

夜のヤコビ・ドュルト

夜のヤコビ・ドュルト
期間中は20時まで開店だったが、8月5日(金)だけ
23時までお店が開けられた。

夜の移動遊園地

夜の移動遊園地

 

夜のヤコビ・ドュルト

夜のヤコビ・ドュルト

 

夜のヤコビ・ドュルト

夜のヤコビ・ドュルト
8月5日になされたライトショー。
教会が様々な色で飾られた。

(2005年8月8日)

 

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