日記 「リゴレット」 |
バイエルン州立歌劇場の2004/05年シーズンにヴェルディのオペラ「リゴレット」が新演出で上演された(2005年2月)。演出は映画監督として知られる Dorie Dörrie によるもので、彼女はこれまで色々な映画やベルリンのオペラ作品の演出に携わっている。その彼女がヴェルディ「リゴレット」を演出した。 ところで以前、バイエルン州立歌劇場でオペラを観た際、ある旅行者(日本人ではない2人組)に声を掛けられた。彼らはオペラに携わっている人達で、その一人は演出をしているということだった(もう一人は歌手)。その人に「今日観たオペラの演出は、どのように見えましたか」と伺うと、その人なりの答えが返ってきたのだが、その時印象に残ったのは今のオペラ界の演出に関する話しだった。昔のような絢爛豪華な演出は費用や制作日数がかかり、また保管場所の問題などがあって、現在それをするのは難しいということ。またそれをしてしまうと、結局は二番煎じになってしまい、演出家の独自性や新しい解釈を見いだせない。だから今の演出家は新しいことに挑戦していかなければならないといった話しだった。 僕は昔の演出のオペラを直接観たのは数少ないが、DVDやビデオで昔の作品を見てみると、演出は非常に凝っているものが多いと感じられる。しかし最近のオペラの演出を見てみると、現代風にアレンジされていることが多い。例えばロココ調の衣服がスーツになっていたり、また今までは豪華なセットだったのが、想像力を必要とさせる何もないシンプルな舞台であったりして、先に書いた演出の人の話が思い起こされる。 そういった状況の中でリゴレットが新演出で上演されたが、それは単に現代風になったという言葉では済まされないような演出だった。映画「猿の惑星」が舞台となり、オペラの主役2人(リゴレットとジルダ)以外、ほとんど全ての人が猿という演出だった。初演がなされたシーズンにこのオペラを観ると、幕が開いて猿(メイクをした合唱の人達)が出て来たとき、歌劇場内はざわめき、公演が終わるとものすごい数のブーが出た。オペラの枠を越えた演出に対する気持ちの表れだろう。新聞などには「『リゴレット』のオリジナルは何処に?」といった風に新演出に対する意見が載っており、また友人は何も知らずに、その「リゴレット」の写真を見たときに、オペラではなく演劇と思ったらしく、それほどこれまでのオペラの演出とは違ったものだった。 しかしその話題になった演出も、2005年7月のオペラフェスト時の公演では、少しだけ落ち着いたようにも感じられた。幕が開いたときのざわめきは若干あったものの公演後はブーもなく、ブラボーの嵐だった。それは非常に熱のある演奏だった。演奏が良ければ、それは演出の内容を感じさせないのかも知れない。 初めて「猿の惑星」を目にしたとき、僕はかなり驚いた。主役の一人マントヴァ公爵まで猿なので、歌を聴くまで舞台上のどの猿が彼なのか分からなかった。そういえば最初のシーズンでマントヴァを歌うのは Ramón Vargas であったが、彼は練習中に病気で降板した。新聞などには彼は猿をやりたくなかったのではといったことが書かれていたが、劇場総支配人のコメントとして、本当に病気になったともその記事には添えられてあった。 猿メイクに関して歌劇場の歌手の方が言っておられたのは、猿のメイクをすると5メートル先にいる同僚が誰だか分からないということ。それだけメイクにも凝っている。中途半端に例えば猿のお面だけ被ってやるよりも、ここまで猿になると、逆に(リゴレットとジルダの)人間らしさが強く表現されているようにも見える。実際にその舞台を観ていると、作品「リゴレット」の持つ世界観が垣間見え、リゴレットやジルダに感情移入しやすくなるのが感じられた。 また2度、3度とこの「猿の惑星」の「リゴレット」を観ているといつの間にか、その演出に対する違和感が無くなってきているように感じられた。少なくとも自分にはそう思われた。2005/06年のシーズン、つまり今シーズンだが、その公演では、最初のざわめきもそれほど聞こえず、いつの間にか「猿の惑星」が定着した感があった。そしてその2005/06年のシーズンの「リゴレット」は話題の多い公演であった。 今シーズンの「リゴレット」では、ドイツで今最も人気のある歌手の一人 Anna Netrebko がジルダを歌った。以前の日記「ケーニヒ広場でのコンサート」(別ウィンドウで開きます)でも書いたが、「リゴレット」のチケットの価格がとにかく高い。舞台が全く見えない座席が最も安いが、それでも15オイロし、最も高い席は240オイロする。この価格カテゴリーは一般的に料金カテゴリー表には載っていない特別カテゴリーとなっているが、「特別」なだけに今までほとんど無く、ここ数年で特別カテゴリーだったのは、2002年オペラフェストで Plácido Domingo が歌ったチャイコフスキー「スペードの女王」くらいである。 またその「リゴレット」のチケット販売も普通の光景とは違っていた。シーズン中の公演のチケットを購入する際、ヴァーグナーの作品や人気歌手が出る作品の場合は、午前10時から始まるチケット販売に向けて、(自分の経験では)午前4時か5時頃、窓口に人が並び始める。しかし今回の「リゴレット」はチケット販売は同じく午前10時からだが、最も早い人は前日午後6時に並びに来たという。いざチケット販売が始まると、安い席は直ぐに売り切れてしまった。240オイロや210オイロの高いチケットも早めに売れていった。しかし普段のオペラなら最も高い値段になる180オイロや150オイロのものは、直ぐには売り切れにならなかった。普段より高いお金を払うなら良い席で観たいと多くの人は思うだろう。 またチケット販売に関して、収益金を寄付するというネットオークション(120席分)がバイエルン州立歌劇場にて行われたが、最高額は1.000オイロを越えていた。全く異常な人気ぶりで、当日歌劇場の前でその日の様子を見ていると、15オイロの立ち見席が50オイロで売れたということが隣に立っている人から聞こえた。 その今シーズンの初演は、時計の針が夏時間から冬時間に替わった10月30日(日)上演された。その日の観客は、普段と何処か違っているように感じられ、オペラフェストの時のように着飾っている人が多かった。そういえば普通の公演では、その日のオペラの配役表が売れずに余るということが多いが、この日は全部売り切れで関係者でさえも配役表を手に入れるのが難しいようだった。 10月30日、僕も何処か緊張を覚えながら、その日の公演を観た。結論から書けば、「想像した程、盛り上がらなかった」公演だった。歌手やオケの全体の演奏は良かったが、「ブラヴォー」が出ると思ったアリアの後も、それは出ず、短い拍手があっただけである。終演後のカーテンコールも長かったが、何か盛り上がりに欠けるといった感があった。また拍手やブラヴォーを最ももらっていたのは、リゴレット役の Paolo Gavanelli だった。確かにこの人のリゴレットは歌的にも演技的に上手い。それに対して、Anna Netrebko が歌うジルダは、良かったものの、リゴレットの陰に隠れているといった印象だった。 その次の公演は11月2日(水)で、その Anna Netrebko がどう歌うか楽しみだった。ところがその公演前日の1日(火)、突然 Anna Netrebko のキャンセルが伝えられた。チケットの値段も高いだけに、楽しみにしている人も多く、何か一悶着起こりそうな予感があった。当日、開演一時間前に歌劇場に行くと、予想していたように多くの人がチケットを売っていた。チケット代が高いだけに「Anna Netrebko が歌わないなら観ない」と言っている人がいた。その際、公演名の「リゴレット」と言わず「猿の惑星」と言っている人が何人かいた。「リゴレット」イコール「猿の惑星」が定着しているようだった。そういえばチケット売り場には、珍しく劇場総支配人 Sir Peter Jonas も姿を見せ、観客に説明をしていた。 Anna Netrebko のキャンセルはそれほど大事(おおごと)なことなのだろう。 公演が始まる前、観客席を見回してみると、2、3空席が見えた。劇場内の照明が落ち、スポットライトが緞帳に当てられ、その間から劇場総支配人が姿を見せた。 Anna Netrebko のキャンセルはその日の新聞などでも報道され、また歌劇場入り口では「チケット代約20パーセント払い戻し」という書類が全員に配られ、キャンセルについては知らない人がいないという状況だった。聴衆に向かって総支配人がキャンセルを報告し、既に知らされていたように代役で Diana Damrau がジルダを歌うと告げたとき、観客からは(僕の予想に反して)温かい大きな拍手があった。ブーが出るのでは、と思っていたが全く聞こえなかった。 リゴレット2日目の演奏は、非常に素晴らしいものだった。観客の盛り上がりも初日に比べて随分と違い、アリアの後にはブラヴォーだけでなく、非常に長い拍手があった。指揮台に目をやると、指揮者の Zubin Mehta も拍手をしている。これだけ拍手をもらうと演奏者も更に盛り上がるだろう。演奏者と観客が一体となったオペラは非常に素晴らしく、オペラは本当に良いなぁ、と思わず言葉が零れる程、オペラの醍醐味が感じられた。今回代役としてジルダを歌った Diana Damrau は先シーズンやオペラフェストでこの「猿の惑星」を演じているので、全く問題なくジルダを歌い上げた。最初の総支配人の挨拶で「彼女は前日、ドレスデンでオペラに出ていたので、全く休まずにバイエルン州立歌劇場に駆けつけてくれた」といった説明があったが、そういった疲れなどを微塵も感じさせない演奏だった。カーテンコールでは劇場総支配人が「歌劇場の危機を救ってくれてありがとう」と言わんばかりの表情で演奏者に花束を手渡した。 リゴレットの公演3日目である11月4日(金)、この日は予定通り Anna Netrebko が歌うか気になっていた。もし彼女が歌うなら聴いてみたい。その日、歌劇場のホームページを何度も見たが、配役に変更はなかったので、一度歌劇場に行ってみることにした。この日も他の日同様、既に売り切れだった。僕はチケットを持っていなかったので、とりあえず「チケット求む」をすることにし、開場よりも随分早く歌劇場に向かった。 この「チケット求む」は簡単には行かなかった。チケットを売っている人はいたものの、その値段は高いものばかりである。またチケットを求めている人の数も多かった。横にいた人は「公演2日目の Anna Netrebko が歌わなかった日だけチケットを持っていて、Anna Netrebko の歌を聴いていないのでチケットを求めて立っている」ということだった。また中には元の値段より高く売っている人も数人いた。売れるから高く売っているのだろう。実際にそれでチケットを手にした人が何人かいた。自分の場合、定価以上を出してまで聴きたいとは思わなかったので、何とか売ってくれる人を待った。そして開演10分前、本当に運良くチケットを手に入れることが出来た。そういえばこの日はスポンサーの関係者が多く来ているようで、歌劇場の雰囲気も何処か違っていた。歌劇場正面に並ぶ柱にはコマーシャルが映し出され、テレビの撮影もなされていた。 この日の Anna Netrebko は初日とは随分変わっていた。前半は病み上がりのせいかどうか分からないが、高音が苦しそうで調子を確かめるように歌っていた気がしたが、後半になると徐々に調子が上がっていった。彼女の歌は非常に存在感があって、ジルダ役に合っているかどうかは別として、なるほどこれなら多くの人が彼女に魅力を感じているのも頷けるといった印象を受けた。いずれにしても今回の「リゴレット」ではタイプの異なった2人のジルダを聴くことが出来、満足出来た。 ところで「チケット求む」をして購入出来た僕のチケットは最上階の Hoererplatz で、ここは聴くだけで舞台が全く見えない席である(16,5オイロ)。この座席は立ち見席(一列)の後ろにあるので、自分の目の前には立ち見の人がいる。更にその前には一般席があって、自分の席では立ち上がったとしても、前にいる人や、更に前にいる人の頭で舞台は全く見えない。 照明が落ち、その日のオペラが始まった時、僕の目の前に立っているおじさんは、いきなり後ろを振り返り、後ろを向いたままオペラを聴き始めた。しかも目を閉じている。僕は彼と向かい合ってオペラを聴かなければならない奇妙な状態だったが、彼と目があったとき、彼は場所を変わってくれ、僕は立ち見席から舞台を観ることが出来た。休憩の後の後半もずっと立ち見の席で観られることになったが、彼にとってこの「猿の惑星」は受け入れられなかったのだろう。 この「猿の惑星」の演出は、如何に「リゴレット」に貢献しているか。この演出では対峙している2つの側が本来の設定よりも、明確化されているように感じられる。しかも猿と人間ということで、聴く人は人間であるリゴレットとジルダに感情移入しやすいだろう。その中で非常に情感溢れる歌を聴かされると、より人間的な様々な感情を意識する可能性がある。その意味ではマントヴァ公爵(Giuseppe Gipali)が良い歌を聴かせていたにもかかわらず、多くのブラヴォーをもらえなかったのは、彼が猿だったせいもあるかも知れない。本来はリゴレットにはリゴレットの、ジルダにはジルダの、マントヴァにはマントヴァの、またそれらに関わってくる人にも、それぞれのドラマがあるはずだが、この演出ではその意味が薄れているようにも感じられる。 それ以外に、稚拙な気もするが、背景の映像は緊張感をもたらし、音楽に生命を吹き込んでいると思われる。また設定が宇宙と言うことで背景だけでなく、全体の雰囲気も暗い。その分歌手の動きに意識が向けられ、歌をより集中して聴いているような気がする。言い換えれば、演奏が良ければ非常に熱のある公演になる可能性もある。そういった意味では、この演出はオペラに挑戦しているようにも見え、この演出はより良い演奏のために貢献しているとも言える。 ところで後にイタリアの国会議員にもなった作曲家ヴェルディが、この作品の中のリゴレットに当時のヨーロッパ列強におけるイタリアを見ていたという解説を目にしたことがあるが、この「猿の惑星」の人と猿(人以外)という演出は、宇宙や自然環境の中に置かれた人の立場を、そこに見ることが出来るかも知れない。それにしても今シーズンの「リゴレット」は本当に色々なことがあった。チケットの販売からして普通ではなく、異常とも言えるような気がした。今回の「リゴレット」は人の商業主義を物語っているようで、非常に人間的な気もした。今後「呪い」がなければいいのだが。 このページの写真は全て2005年10月末11月上旬の「リゴレット」の公演日に撮影したもの。 |
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|||||
|
|
|