2005年12月を振り返ってみると、師走という文字通り、実に早く日が過ぎた感がある。自分としては忙しい日もあり、また比較的のんびり出来るときもあったりしたが、提出物もあったので振り返ってみればバタバタと忙しい月だったように思う。12月の最中には意識していなかったのだが、クリスマスマルクトも訪れる回数が少なかった。何よりここ数年間、毎年焼いていたレープクーヘンを焼く時間もなかった。昨年はドイツ人の友人から他のケーキのレシピなどももらっていたが、それらも焼く時間がなかった。
ところで昨年の日記「2004/05年の冬(別ウィンドウで開きます)」を読み返し、2004年と2005年の天候を比べてみると、2005年も例年通りの天候といえる。2005年12月の最高気温は9度(2004年は10度)、最低気温はマイナス10度(2004年もマイナス10度)で、氷点下になった日数を比べると、2005年12月は23日あり、2004年は22日とほぼ同じ。積雪は2005年が9センチ、2004年は14センチ、日照時間で2時間を超えた日数は2005年が6日、2004年は10日である。例年のように2005年の12月も寒くなったと思えば暖かくなったり、またその逆であったりとドイツらしい変動の多い天候であった。中には前日との気温差に関して、これは2005年の年末だったが、マイナス10度まで冷え込んだと思えば、次の日には最高9度まで気温の上がった日もあった。
そういった12月だったが、時間を見つけてはオペラやバレエを観に劇場へ通った。数的には月の半分以上オペラなどを観ることが出来た。コンサートで最も印象に残ったのは、Cecilia
Bartoli のものだ。プリンツレゲンテン劇場で行われたこのコンサートは、チケットが発売されて直ぐに完売になり、またこの劇場としては珍しく舞台後方にポディウムの座席が設けられる程、人気のあるものだった。自分はチケット購入出来なかったのだが、個人的にはどうしても観たいコンサートだったので、当日劇場へ行って「チケット求む」をしてみることにした。「チケット完売」となっていても諦めずに会場に行けば、少なくとも可能性は生まれる。まずは行ってみることから始めなければならない。この日は結局、諦めずに待っていると、おそらく取りに来なかったのか、最後の最後に残りチケットが出た。チケットを購入出来たのは開演直前で、席に着いたのも最後であった。
Cecilia Bartoli のコンサートの内容は先に発売された「OPERA
PROIBITA (邦題:禁じられたオペラ)」からの作品が中心であった。舞台上で拳を握りしめながら、そして肩でリズムを取って歌う
Cecilia Bartoli の姿は非常に格好良いものがあった。とにかく自分としては生で彼女の歌を聴くことが出来だたけで非常に嬉しかったのだが、終了後に一緒に写真を撮っていただき、また持っているCD達にサインをもらえたので更に嬉しさは増した。
ところで「チケット完売」といえば大晦日もそうだった。バイエルン州立歌劇場ではヨハン・シュトラウス(2世)「こうもり」、ゲルトナープラッツ州立劇場では「My
Fair Lady」、その他、幾つかの演劇などもチケットが完売だった。大晦日は何か予定が入るかも知れないので、僕は何もチケットを購入していなかったのだが、当日時間があったので、雨が降る中、バイエルン州立歌劇場へ向かって、ここでも「チケット求む」をした。
自分の周りには自分と同じように「チケット求む」と書いた紙を手に持った人達が何人もいた。自分の横をこの大晦日の演目のために着飾った人達が通り過ぎていく。暫くすると一人のドイツ人女性が近づいてきて「立ち見ならありますが」と声を掛けてきてくれた。「立ち見でも十分です」と返事をすると、「このチケットをあなたに差し上げます」と言ってチケットを僕に手渡し、その女性は歌劇場とは反対の方へ歩いていった。「ありがとうございます!」と言ったものの、十分なお礼の気持ちを述べることが出来なかったほどに、あまりにも突然だった。しかしこれは非常に嬉しい出来事だった。
大晦日の「こうもり」の公演は間にゲストが演奏などをし、別の日の「こうもり」よりも豪華な公演になっている。迫り来る新しい年に相応しいお祭り的な気分があり、2005年大晦日公演のゲスト演奏の一つでは劇場総支配人
Sir Peter Jonas がスコットランドの踊りを披露するなどした。そういえば休憩の後、指揮者
Zubin Metha は聖ニコラウス(サンタクロース)の格好をしてオケピットに現れ、劇場を沸かせていた(指揮の時にはそれらを脱いでいた)。また最後のカーテンコールの際に彼は舞台上からオーケストラを指揮し、ヨハン・シュトラウス(1世)「ラデツキー行進曲」を演奏した。観客も演奏に合わせて手拍子をし、そして幕が閉じた。このオペレッタでは観客席から紙テープが投げられるという演出があるが、オペレッタ終了後の歌劇場内には、この紙テープが散乱しており、如何にも宴の後といった印象を得た。
ところで2006年1月1日はバイエルン王国成立200周年に当たる。1806年1月1日、バイエルンは選帝公領から王国となった。新聞やネットで見ているとその関連記事が幾つか見られたので、1月1日に日付が変わるとき何かあるかと期待していたが、結局イベント的なものは何も見つけられなかった。オペレッタ「こうもり」が終わった後、バイエルン州立歌劇場前のマックス・ヨーゼフ広場に建つ、バイエルン王国初代国王マクシミリアン1世像の前に立ってみたが、期待していた花輪なども見られなかった。
マックス・ヨーゼフ広場からマリエン広場に向かって歩いていると、広場とその周辺から花火の音が聞こえてきた。また広場の中心には警察がいて大晦日の夜を見守っている。そのあと家に帰ったのだが、時計の針が12時を指す頃には辺りは花火や爆竹の音で騒がしかった。しかし天気が雨だったせいか、例年に比べると全体的に規模が小さかったように感じられる。
家に帰ってテレビをつけると、ちょうど「Dinner
for One」という番組が始まるところであった。友人が言うには毎年ドイツの大晦日で放送されている番組らしい。これは約18分間の番組で、白黒のこの番組は全く同じものが既に30年以上放映されているということ。内容は一人の未亡人と一人の執事の話である。テーブルに着く未亡人に執事が給仕をしながら動き回ると言ったもので、見ているだけで何が可笑しいか分かるコメディーである。僕が見たバイエルン放送局のものは視力が弱い人のためにか解説付きの放送だったが、その後チャンネルを変えると色々な放送局で、それが放映されていた。他の局の放送では解説がなかったが、中身は全く同じものだ。どれも最後に制作NDR(北ドイツ放送局)と入る。そして北ドイツ放送局の「Dinner
for One」を見ると、それがカラー放送だった。今までこの番組について全く知らなかったのだが、ドイツの大晦日に放送される伝統的なものらしい。
調べてみると、もともとこれはイギリスで作られたコメディーで、現在のこの放送は出演者をハンブルクに呼び寄せて、1963年北ドイツ放送局によって制作されたものである。そして1972年からは毎年大晦日に放送されるようになったとのこと。1997年にはコール首相(当時)の年頭所感の放送よりも多くの人がこの「Dinner
for One」を観たとあった。2005年もそれは色々な局で合計20回放送されるほどに、ドイツの大晦日とは切っても切り離せないものになっている。ドイツの大晦日の伝統、例えばオペレッタ「こうもり」で舞踏会のような雰囲気を楽しむのも面白いし、またこの「Dinner
for One」を見ながら新しい年が明けるのを待つというのも良いかも知れない。放送は毎年同じなので、笑うところも毎年同じだろうが、これもドイツらしい大晦日の一つなのだろう。
上の写真は2005年11月14日(月)早朝に撮影した新市庁舎前の、もみの木の設置作業の様子。2005年度の樹はムルナウから寄贈されたもの。
以下の写真は全て2005年12月に撮影したもの。基本的に撮影した順です。 同じ場所で同じものを撮影していても時間や天候によって景色が違っている。
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