やまねこの物語

おでかけ ドイツ・バンベルク

旅の目的

時期

クリスマスマルクト

2004年12月下旬

 

窓の外には雪景色が拡がっていた。ミュンヘンを午前9時半過ぎに出発した ICE(都市間超特急)から見る景色だ。ミュンヘンでは雪が10センチほど積もっていたが、電車が北上するにつれ、その雪も少なくなり、バンベルクへの乗換駅であるニュルンベルクでは雪が積もった気配すら感じられなかった。ニュルンベルクから RE(地域特急)に乗り換えて約40分でバンベルクに着くが、こちらでもそれは同じだった。ただ冷たい風が強く吹いていたので、ホームに降りた時、体が一瞬にして縮こまるのが分かった。

バイエルンの北部に位置するバンベルク(人口約7万人)は、902年「カストルム・バーベンベルヒ」と言う名前で10世紀の歴史書に確認されるように1000年以上の歴史がある街である。第二次世界大戦の戦禍を免れ、中世の面影をそのまま残している。レグニッツ川による美しい水郷の風景は「小ヴェネツィア」と呼ばれ、旧市街地はユネスコの世界文化遺産に指定されている(1993年)。

今回、僕は友人についてこの街にやってきた。友人がバンベルクで開かれているクリスマスマルクトの、グリューヴァイン(香料入りのホットワイン)のカップを欲しいと言うので、友人について僕も一緒にバンベルクまで出向いたというわけである。友人曰く、そこで使われている透明のグラスは耐熱で、またデザインも可愛い上に、クリスマスの時期限定の品なので他では手に入らないとのこと。

バンベルクの駅前には多くのバスが止まっていた。路線バスやおそらく観光バスだろう。そのバスの間を縫って、少し小雪が舞い始めた通りを歩いた。駅前から延びるルイトポルト通りには、おそらく19世紀後半に建てられたであろう建物が幾つも並んでいた。暫くするとマイン・ドナウ運河にかかるルイトポルト橋に出た。橋の上から街並みを見ると、あまり中世の面影は認められない。「ルイトポルト」と名の付いたメイン通りと橋、それがバイエルンに発展をもたらしたプリンツレゲント(皇太子摂政)・ルイトポルトに由来するものならば、彼がバイエルンを統治していた19世紀後半に、この中央駅から運河周辺の地区が開発され、その名前が付けられたとも考えられる。それにしても橋の上は風が尚更冷たく感じられる。

(おでかけ、ドイツ・バンベルク編、写真の一部は友人撮影)
 

ICE の窓から
ICE の窓から

バンベルク駅
バンベルク駅(1840-44年建設)

ルイトポルト橋
ルイトポルト橋

ルイトポルト橋から見るマイン・ドナウ運河
ルイトポルト橋から見るマイン・ドナウ運河

 

 

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