予めもらっていたプログラムには「
13時 : Ueberraschung! 」となっている。これは「驚くこと」とか「びっくりすること」ということで、聞けば、その場にいたロージの兄弟も何が行われるか知らないとのこと。その時間になると、どこからか馬車がやってきた。馬車を見るのが驚くことなのか、それともこれで何処かに連れて行かれるのか。その次の予定は16時頃に「お茶の時間」となっている。まさか3時間もかけて次のお茶の場所に行くと言うこともあるまい。19時にバウツェン市内で誕生日パーティーとなっていることから、どうやら3時間かけてカフェに行くというのではなさそうだ。勧められるがままに、皆、馬車に乗り込んだ。
パッカパッカと馬はゆっくり進み出した。馬車も大きく揺れながら動き出す。一体何処へ連れて行かれるのだろう。結局「着けば分かる」ということに落ち着き、しばらく馬車から見える風景を楽しむことにした。馬車は小さな集落を抜けると、広大な畑の真ん中にある一本道を進んでいった。暫くすると次の集落が見えてきた。「あの集落の何処かにカフェがあるに違い」。口には出さないものの、みんなその様に思っているようだった。しかし「カフェ」という単語があまり似つかわしくないような集落である。カフェどころか他のお店も見あたらない。すると馬車は、そのまま集落を通り越し、またしても大きな畑の真ん中を進んでいった。遠くに次の集落が見える。馬車の速度であそこまで行くには何分かかるだろう。
次の集落も通り越し、更に馬車は進んだ。一時間ほど経った頃だろうか。乗っていた一人がトイレに行きたいという。そこで「誰も見ていないからいいじゃないか」と、草むらでしばしトイレ休憩となった。そして馬車は更に進んでいった。途中幾つもの集落を通り過ぎた。馬車が珍しいのかどうか分からないが、多くの人が馬車を見ている。中には自転車に乗って馬車の後を追ってくる小さな子供までいた。畑の真ん中や狭い道で車が来たら、すれ違うのも追い越しも難しそうだ。そう話していると、やはり車が来た。馬車は端によって何とか車を通したりすることもあったが、細い一本道で車のパレードの先端になることもあった。
馬車に乗っていたみんなは、10分ほどで次の地に着くだろう、30分も乗ることはないだろう、その様に漠然と考えていたので、飲み物も水のペットボトル一本あるだけだった。1時間以上乗っているとさすがに喉が渇いてきた。ロージの弟さんが小さなお店を見つけ、馬車を降りてビールを買いに行った。無口になり腕組みをしている人達もビールを口にして、最初の元気が戻ってきたようだった。ところでビール缶を見ると日本語が書いてあるのに驚いた。そのビールはトルコ産で輸出しているのが日本の会社だった。この地で日本語を見るとは思ってもいなかったので、自分にとってはこれこそ「驚き」だった。
そして馬車の旅はなお続く。陽があまり差し込まない森の中や大きな池の側など、馬車は自然豊かな場所をゆっくりと進んでいった。時々吹く風が気持ち良い。ビールを口にするまでは「あと何分くらいで目的に着くの?」とみんなは御者の人に何度も聞いていた。その度に御者の女性は「これから池の側を通って、森を通り抜けて云々」と口を濁していた。ビールを口にして元気になってから、目的地に関する話題もなくなり、ただ馬車の揺れに身を任せているといった感じになった。
主催者であるロージは途中から馬車に乗り込んできた(他の人に車で送ってもらった)。そこで初めて目的地が分かった。目的地はなんと出発地点であった。つまりカフェなど何処か目的地があって馬車に乗っているのではなく、このラッケル周辺の自然豊かな場所を、馬車に乗って満喫するというのが、この馬車の旅の目的であった。結局、馬車に揺られていた時間は、4時間ほどだった。これだけの時間、馬車に乗るというのは現代に生きる我々にとっては想像し難いことである。友人の「一生分の馬車に乗った。今後の人生に置いて、たとえ馬車に乗ることがあっても4時間は乗らないだろう」という言葉も外れていないように思える。この馬車の旅こそ、ロージがミュンヘンからやって来た人達への「びっくりする」プレゼントだった。ミュンヘンでは10分毎に来る電車が少しでも遅れれば苛立ちを覚えるかも知れない。しかしラッケル周辺では、そういった時間にとらわれることなく時間が過ぎていく。都市と田舎で時間の進み方がこうも違うとは、ある意味いい経験をした。
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