やまねこの物語

おでかけ ハンガリー・ブダペスト

旅の目的

時期

オペラ鑑賞

2004年12月下旬

 

ツィタデッラへ行くバス中央市場をあとにして、ツィタデッラ(要塞)行きのバスが出るモーリツ・ジグモンド広場に向かった。そこでは直ぐにバスが来たが、そのバスは普通のバスよりも小さく、ミニバスといった感じのものだった。それだけ坂道が多いのだろう。発車まで少し時間があったが、暫くするとそのバスは人で一杯になった。聞けばツィタデッラのあるゲッレールトの丘周辺は住宅街になっているということ。バスがツィタデッラのある山頂に向かうに従って、徐々に乗客の数が減っていき、山頂に着くとその数はほんの僅かになっていた(右の写真はツィタデッラへ行くバスの中)。

坂を上りきったところでバスを降りたが、辺りは既に真っ暗で、これから行くべき道が分からなかった。この暗い中、もし一人で来ていたら迷子になっていた可能性があるが、友人は既にここを訪れていたとあって、友人の案内の元、ツィタデッラに辿り着くことが出来た。そういえば歩道には数メートル毎に子供の落書きのような「↑」という矢印が描かれていた。結果的にそれはツィタデッラまで続いていたのだが、案内のためのものか、落書きかは分からなかった。

高さ235メートルのゲッレールトの丘の山頂には、かつてトルコ軍が建てた小さな砦があった。1848年にはオーストリア軍がここを占領し、同年、ハンガリーが対オーストリア独立戦争を起こしたあと、オーストリアがハンガリーの動きを監視する目的で、60の砲台を持ったツィタデッラを建設した(1850-54年)。全長200メートル、幅60メートル、高さ4メートルの要塞である。これは1894年にブダペスト市へ譲渡されたが、元々は軍事目的で作られたものではなく、威嚇するために作られたものである。それが初めて軍事目的で使用されたのは、1945年、街に入城したドイツ軍によってである。ブダペストの街はここから砲撃を受けた。

現在ツィタデッラはレストランとホテルとして平和に利用されている。この建物周辺にはブダペストの歴史だけでなく、例えば大砲など旧ソ連の遺品が紹介されている。自身の街の歴史だけでなく、そういった過去の征服者のものを展示しているということ、それは今現在、ハンガリーが本当に「独立」していると言うことを示している。


大砲
大砲

ソ連兵の展示
ソ連兵の展示

ツィタデッラと歴史の展示
ツィタデッラと歴史の展示

歴史の展示
歴史の展示


このツィタデッラの前には1947年に建てられた解放記念碑がある。ドイツ軍によって占領されていたツィタデッラを解放したソ連の兵士に捧げられるものであり、高さ14メートルの石灰石の台座の上には、上げた両手に椰子の枝を持つ女性像がある(キシュファルディ・シュトローブル・ジグモンド作)。その勝利の女神像の下には二つの男性像があり、それぞれ「進歩」と「悪との戦い」を表現している。そしてかつては、その二つの銅像の間に旗を持ったソ連兵の銅像があったが、これは1989年の東欧革命後、取り除かれ、今はその台座だけが残っている。ところでこの解放記念碑は、本来1943年に東方戦線で亡くなった、ハンガリー首相ミクローシュの息子である、イシュトヴァーンに捧げられるものであったが、ソ連がそれを自身の解放記念碑としたものである。

ツィタデッラの上には登ることが出来、そこからはブダペスト市内を一望出来る。登る際には入場料が必要だが、僕たちが訪れたその寒い日、既に陽が沈んだあとでは入場する人も少なく、チケットを売っている人も暇そうにしていた。見ていると彼も持ち場を離れている。僕たちがツィタデッラを訪れたときはとにかく寒かった。今回のブダペスト滞在で最も気温が低い時間だったに違いない。非常に冷たい風が吹き、その風は肌を刺すような痛さがあった。両手をコートのポケットに入れ、背中を丸めながら歩いた。

凍っている足下に気を付けながら、ツィタデッラの上に登ると、そこからブダペストの街が見えた。中央に真っ黒なドナウ川が見える。それに反射するエルジェーベト橋や鎖橋を見ていると、ブダペスト=橋の街ということが強く印象づけられた。また上から見る王宮は、非常に威厳ある建物に見え、まるで要塞のように感じられる。

解放記念碑
解放記念碑

解放記念碑と月
解放記念碑と月

ツィタデッラから見た街並み
ツィタデッラから見た街並み

ツィタデッラから見た街並み
ツィタデッラから見た街並み

ツィタデッラから見た王宮
ツィタデッラから見た王宮

ツィタデッラから見た街並み
ツィタデッラから見た街並み


ツィタデッラの上から夜景を楽しんだ後、街に戻りミュンヘンに向かう夜行列車が出る東駅に向かった。今回の旅は3日間と非常に短い旅であったが、その中でも色々と感じられることがあった。ブダペストがマジャル人の自身の文化だけでなく、トルコ、オーストリア、ソ連の影響を受けながら、独自の文化を大切にしていること、その民族意識や祖国愛が強く感じられた。ブダペストは「ドナウの真珠」「ドナウの薔薇」と讃えられる街であるが、次回訪れた際には街の別の魅力を発見出来るに違いない。また近いうちにブダペストを訪れる、漠然としたものだがその様に感じられた。(2004年12月下旬、ハンガリー・ブダペスト編完)

追伸 : 今回の旅においては友人を始め、ブダペスト在住の方々に大変お世話になった。本当にどうもありがとうございました。

コンパートメントの列車
コンパートメントの列車

コンパートメントの列車
コンパートメントの列車

手書きの電車のチケットと市内3日間券
手書きの電車のチケットと市内3日間券

 

 

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