おでかけ ドイツ・ハイデルベルク |
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ハイデルベルクはドイツ最古の大学都市で、大学は1386年プファルツ選帝候ルプレヒト1世によって設立された。ミュンヘンのルートヴィヒ・マクシミリアン大学は1472年設立なのでそれよりも古い。
ところでハイデルベルクの観光名所の一つに学生牢がある。これは昔大学は治外法権で街で学生が犯罪を犯しても警察は一切手を出すことが出来ず、市民から大学に対しての苦情が多くあり、その対策として造られたものである。街で軽犯罪を犯した学生は最高で約一ヶ月(警察ともめた場合)、この牢に放り込まれた。しかし授業に出ることも義務とされていたので、そのついでに食料やお酒を調達し、夜はここで騒いでいたらしい。学生も罰を受けることを恥とは考えず、勇ましい騎士道精神の現れだとして囚人扱いされることを誇りに思っていたとのこと。それ故部屋は例えば「ロイヤルパレス」「何とかヴィラ」「グランドホテル」など名前があった。この学生牢は1712-1914年の間使われていた。階段を登っていくと幾つもの横顔が目に付く。当時は横顔の自画像が流行っていたらしい。
学生牢には水彩や蝋燭のすすで描かれた落書きが多くあり、それらは彼らの所属する団体名や旗、理想などが壁や天井などぎっしりと描かれている。だが水彩はどのように手に入れたのだろう。こっそり持ってきたのか、食糧などと一緒に調達してきたのか。「落書き」をしていた学生は一体どのような気分で描いていたのだろうか。見たところ天井には横顔の自画像が少ない。やはり天井に自画像を描くのは体力的に困難であったのだろうか。それとも別に理由があったのだろうか。またこの学生牢は使用されていた期間が長いが、あとから放り込まれた学生は、先輩の落書きをよけて落書きしたのだろうか。それとも自分の所属する団体とは反対派の団体なら上に描いたりしたのだろうか。また刑が短いと落書きをする時間もないかも知れない。と、落書きを中心に色々考えているとなかなか面白い場所だと思う。 ところで以前は各部屋にも入れたそうだが、最近は観光客による落書きが増えてきたので、部屋には入れないよう柵が設けられたとのこと。しかしよく見てみると2003年、2002年と日付の入った落書きが柱などにある。落書きをしている日本人も多く、それを見ると非常に残念な気持ちになる。
学生牢をあとにし、本屋などを覗きながら旧市街地の中心であるマルクト広場へ向かった。
マルクト広場には大学設立と同じ頃建てられ始めた聖霊教会がある。ゴシック様式の教会。1441年完成。
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