やまねこの物語

おでかけ ルクセンブルク

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2005年8月下旬

 

    ボックの砲台を見た後、大公宮の内部を回るツアーに参加するためにインフォメーションに向かった。ここでチケットが販売されているからだ。内部へはガイドツアーでのみ入ることが出来、30分ごとに英語、ドイツ語、フランス語、オランダ語と言語を替えて行われる。僕自身、本当はドイツ語のツアーに参加したかったが、ボックの砲台で思った以上に時間を費やしたので、チケット購入の時点で最も早く行われる英語のツアーに参加することにした。そしてチケットを購入して、集合場所である大公宮裏側へと向かった。

大公宮
大公宮

大公宮前の街灯
大公宮前の街灯

大公宮前の街灯
大公宮前の街灯

大公宮前の街灯にある紋章
大公宮前の街灯にある紋章

大公宮前にある銀行の建物
大公宮前にある銀行の建物

大公宮前にある銀行の建物
大公宮前にある銀行の建物

大公宮前に立つ柱
大公宮前に立つ柱

大公宮前に立つ柱
大公宮前に立つ柱

    現在の大公宮が建っている場所には元々、13世紀頃に建設されたルクセンブルク市最初の市庁舎が建っていたが、1554年火薬庫が爆発した際に崩壊した。その後ルネサンス様式で市庁舎は再建された(現在の建物は1856年建設)。1875年議会が新しい市庁舎に移転するまで、ここは500年以上、市政の中心地だったわけである。そして1890年以来ここに大公家が住むようになった。現在大公がここにいるときには国旗が揚げられ、衛兵が見回りをしているということだったが、僕が訪れたときには国旗も揚がっておらず、また衛兵もいなかったので、大公はいなかったのだろう。

    ところでルクセンブルクのインフォメーションやお土産屋などを覗いてみると、何種類もの大公家のポストカードが売られているのが目に付き、大公家が現在、非常に人気があるのが感じられる。ルクセンブルクを形成するアイデンティティの一つがそこにあるのだろう。ところでルクセンブルクは1815年ウィーン会議によって、それまで色々な国に支配されていた時代を終わらせ、大公国として独立が保証されたが、1815年から1890年の間はオランダ王(ヴィルヘルム1世、同2世、同3世)がルクセンブルクの大公を兼ねていた。オランダ王(オランイェ=ナッサウ家)がルクセンブルクの大公を兼ねるということは、完全に独立したとは言い難いが、しかし強国の後ろ盾のようなものがないと自国の独立は危ぶまれるのだろう。ただギョーム広場にヴィルヘルム2世の騎馬像があるのをみると、それほど否定されているというわけでもないように感じられる。

    ところが1890年にオランイェ=ナッサウ家は男子に恵まれず、ルクセンブルクの大公位はナッサウ=ヴァイルブルク家に移ることになって、ようやく自身の大公家がルクセンブルクの大公になる。それがアドルフ橋を作った大公アドルフ1世(1817-1905)である。彼によって現在のルクセンブルク=ナッサウ家が始まった。言うなればルクセンブルクのルクセンブルクらしさはここに帰するとも言える。大公宮にある紋章を見ていると、「ルクセンブルク」が一杯詰まっている、その紋章が非常に誇り高く、言葉に言い表せない重みがあるように思えた。

大公宮
大公宮

紋章
紋章

大公宮入り口
大公宮入り口
ここがガイドツアーの集合場所。
ガイドツアーは7月中旬から8月末まで行われるということ。

大公宮入り口
大公宮入り口

    大公宮のツアーには約20人程参加していただろうか。チケットを見せて敷地内に入ってから、最初の説明が行われる建物の入り口まで向かう。空港にあるようなゲートをくぐって中に入るが、写真撮影は一切禁止ということで、それが残念に思えたが、警備のことを考えると当然だろう。ツアーは約45分で、ガイドの案内に従って幾つかの部屋をまわる。 実際に見られる範囲はそれほど広くはなく、大公家の生活感が感じられる場所ではなかったが、それでも入り口での警備や、ガイドツアーに案内人以外他に人が付いていたのを見ると、大公宮が非常に重要な場所のように感じられた。

街並み
街並み

街並み
街並み

    大公宮の見学が終わった後、そのままルクセンブルク中央駅まで向かった。ザールブリュッケン行きバスの出る時間が迫っている。ルクセンブルクにいたのは僅か数時間だけで、要所を簡単に見たに過ぎないが、それでも街の歴史などを感じることが出来た。次回訪れるときは今回回れなかったところを見ることによって、今回観たところも違った印象を受けるだろう。次回の旅が楽しみである。ところで現在ルクセンブルク市には100を超える数の橋があるという。今回の旅が自分にとって一つの「橋」になればと思う。(2005年8月下旬、ルクセンブルク編完)

民族団結の碑
民族団結の碑
第二次世界大戦の犠牲者に捧げられるだけでなく、
国家社会主義者(二つの世界大戦ともドイツに占領される)に
対する抵抗と団結を表している。石造りの簡単な礼拝堂の
中央にある格子は強制収容所と兵舎を表現している。
碑の前には炎が燃えている。

陸橋
陸橋
アドルフ橋が「新しい橋」と呼ばれるのに対し、「古い橋」と
呼ばれる陸橋は、1859-61年に建設された、
24のアーチを持つ全長290mの橋。

 

陸橋からの眺め
陸橋からの眺め

陸橋からの眺め
陸橋からの眺め

陸橋からの眺め
陸橋からの眺め

 

 

 

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