おでかけ ルクセンブルク |
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ボックの砲台がある岩山の上に、963年ジークフリード伯爵によって砦が築かれた。そしてその後1443年から約400年間、この砦の場所は、ブルゴーニュ、スペイン、フランス、オーストリア、ドイツ連邦などの占領下になる。色々な支配者によってこの岩山は防衛施設となり、特にオーストリアのカール6世及びマリア・テレジアの支配下、1737-46年に大規模な工事がなされ、(ボックの砲台だけでなく他の砲台も合わせて)岩山の中に最大23kmにも及ぶ地下要塞が作られた。「北のジブラルタル」と言われるほど、それは世界で最も強固な防衛施設の一つとされるまでになった。 しかし1867年、ルクセンブルクが中立を宣言した(1867年5月11日、ロンドン条約で領土も確定)ことで、この施設は取り壊されることとなる。その作業にも16年の年月がかかったが、これを破壊することで街にも被害が出てしまうことから、17km部分は残されることとなった。深さ40mにも及ぶこの施設は、二つの世界大戦中、隠れ家及び防空壕として利用され、約35.000人がここに避難した。 そして現在、そういった歴史のある地下要塞「ボックの砲台」はユネスコの世界文化遺産に指定されることになる(1994年)。
ボックの砲台はシャトー橋の辺りから見ても、それほど巨大だとは感じられなかった。しかしその地下要塞の中に入ってみて非常に驚いた。とにかく広い。(比較的)大きな中央の道を中心にして左右に幾つもの道、小さな空間があり、中には司令官がかつて使っていた寝室や事務所跡まであった(現在は空間があるだけ)。 階段も幾つもあり、その中には人が通り過ぎるのに非常に時間を要するような小さな螺旋階段が幾つもあった。面白いと思ったのは、シャトー橋の更に下まで要塞が続いているということだ。つまり橋が破壊されてしまうと、砲台部分は陸の孤島になり、旧市街地側へ戻るのは難しくなる。万が一の場合に備えて、橋の下にまで通路を造っている。 ところでこのボックの砲台は、現在夏季のみ公開されており、冬は公開されていない。凍結による危険があるからだろうか。いずれにしても螺旋階段はすり減っていたり、通路も平らではない場所もあるので、凍ったときは本当に危ないと感じられる。 このボックの砲台にいた時間は1時間半ほどと、外から見るよりも巨大だったことが、腕時計を見たときにも感じられた。
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