やまねこの物語

おでかけ ルクセンブルク

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2005年8月下旬

 

    ノートルダム大聖堂をあとにし、ギョーム広場(ヴィルヘルム広場)に向かった。地図を見ると、そこには市庁舎があるので、どうやら街の中心といった感じだ。その辺りで何処か昼食を取れそうなお店を探すことにした。広いギョーム広場の、市庁舎の前あたりには幾つかのレストランやカフェが並んでいる。天気が良いのでどのお店も外にテーブルを並べていた。幾つかのお店を覗くと、空席がないところもある。何となく、どのお店にするか決めかねて歩いていると、市庁舎の側に下に降りる階段があるのが分かった。この街は少し坂になっているようだ。その階段を下りると、幾つかのレストランやカフェが見えたので、そちらに向かって歩くと、ダルム広場という広い場所に出た。

大公シャルロッテ像
大公シャルロッテ像
パリの彫刻家Jean Cardotによって造られた銅像。
高さ2.75mのこの像は1990年4月29日、
大公一家が出席のもと除幕式が行われた。
 

大公シャルロッテ像
大公シャルロッテ像
大公シャルロッテ(1896-1985)の
統治期間は1919-64。

 

ヴィルヘルム2世像
ヴィルヘルム2世像
ヴィルヘルム2世像の台座にはオランイェ=ナッサウ家と
ルクセンブルク家の紋章がある。
 

ヴィルヘルム2世像
ヴィルヘルム2世像
ヴィルヘルム2世・フォン・オランイェ=ナッサウ(1792-1849)は
オランダ国王、ルクセンブルク大公であった。
 

ヴィルヘルム広場
ヴィルヘルム広場
ここには13世紀中頃からフランシスコ修道院及び
教会があったが、1797年フランス軍によって取り押さえられた。
後に広場になった。
 

市庁舎
市庁舎
1830-38年、新古典主義様式で建設された。
この場所にフランシスコ修道院があり、それは1829年に
取り壊された。
 

作家 Michel Rodange の碑
作家 Michel Rodange (1827-1876)の碑

市庁舎横から下に降りる階段
市庁舎横から下に降りる階段

    ダルム広場は非常に賑やかで、その広場を囲むように幾つものレストランやカフェが並んでいた。何軒ものお店を覗いたが、こちらでも、どのお店に入るか決めかねていた。というのは値段が非常に高いので入るのに躊躇してしまっていたのだった。ミュンヘンはドイツの都市の中でも最も物価が高い街の一つであるが、それと比べても数段にルクセンブルクの方が高い。世界的に有名なファーストフードのお店を覗いたが、こちらも値段が高かった。結局、その広場に面するところにあるイタリアレストランで昼食をすることにした。このお店の値段は他の店に比べるとそれほど高くない。そういえばお店の人は、最初はフランス語で話し掛けてきた。こちらがドイツ語を無意識に口にすると、お店の人はドイツ語を話す。街の案内などを見ていると、フランス語、ドイツ語、英語の3カ国語の表示が多く、街がそれだけ観光に力を入れているのが分かった。

J. A. Zinnen の碑
J. A. Zinnen の碑
建物右上にルクセンブルクの国歌「Ons Hemecht」を
作曲した J. A. Zinnen(1827-1898)の碑がある。
この歌は1895年国歌として採用された。
 

看板
看板
官庁での公用語はフランス語だが、
日常会話はドイツ語の方言である
モーゼル・フランケン語を話すということ。

Dicks-Lentz記念碑
Dicks-Lentz記念碑
Dicks の愛称で知られる作家Edmond de la Fontaine(1823-1891)と国歌を作詞したMichel Lentz(1820-1893)を
記念して1903年に作られた記念碑。
 

Dicks-Lentz記念碑
Dicks-Lentz記念碑



 

自治宮殿
自治宮殿とダルム広場(パレード広場)
ダルム広場には多くのカフェ・レストランがあり、それゆえここは
「街のサロン」とも呼ばれる。広場にある菩提樹はルイ14世率いる
フランス軍によって植樹され、ここで観閲式が行われた。
 

自治宮殿
自治宮殿にあるレリーフ
1244年、大公女エルメジンデがルクセンブルク市民に
街の特許状を手渡す場面が描かれている。

自治宮殿
自治宮殿
1953-69年、この建物はEUの前身、
ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の本部として利用されていた。

装飾
装飾

噴水「道化者のマーチ」
噴水「道化者のマーチ」

装飾
装飾

坂道
坂道

 

    昼食後、大公宮に向かったが、こちらはガイドツアーしか入れないと言うこと。時間が中途半端にあったので、先にボックの砲台と呼ばれる断崖絶壁にある要塞施設に向かうことにした。大公宮の横の道を歩いていくと、前に教会の小さな塔が見えた。サン・ミッシェル教会である。教会入り口の扉は開かれていて、礼拝堂に入ったが、中には人の姿はなく少しひっそりとしていた。ただ入り口の扉が開いていたので、教会は何人も受け入れてくれるといった感じがして、人が誰もいなかったにもかかわらず、寂しいといった印象は受けなかった。

    この教会はルクセンブルク伯爵の砦の礼拝堂として、987年に建設されたもので、現存する建物としてはルクセンブルクで最も古い建造物である。その後、幾度も増改築がなされ、それゆえ教会はロマネスク、ゴシック、バロックの様式が採り入れられ、1688年現在の姿になった。礼拝堂の中に入ると昔の遺構があったりと歴史を感じることが出来る。この直ぐ近くには防衛施設(ボックの砲台)があるので、多くの人がここで祈りを捧げたのだろう。

サン・ミッシェル教会
サン・ミッシェル教会

サン・ミッシェル教会
サン・ミッシェル教会

悪魔と戦う聖ミヒャエル
悪魔と戦う聖ミヒャエル
 
 

入り口
入り口
1887年ルイ14世によってバロック様式化された。
 

礼拝堂
礼拝堂

主祭壇
主祭壇

かつての教会の遺構
かつての教会の遺構

小祭壇
小祭壇

パイプオルガン
パイプオルガン

悪魔と戦う聖ミヒャエル
悪魔と戦う聖ミヒャエル

 

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