|
||||||||||||||
おでかけ スイス・ルツェルン |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
2日目の朝早くに目が覚めたので、近くを散歩をすることにした。時計を見ると朝食までは一時間程ある。そして思い切ってリヒャルト・ヴァーグナーがかつて住んでいたトリプシェンの家まで歩いてみようと思った。その家にヴァーグナー一家が1866年から1872年まで住んでいた。持っている本にはルツェルン駅から歩いて30分程で行けるとある。とにかく行けるところまで行ってみようと考えた。 リヒャルト・ヴァーグナーは政治や人間関係など様々な理由でルツェルンには5回程訪れている。その4回目の時はフィーアヴァルトシュテッテ湖畔にあるホテルに約5ヶ月間滞在し、そこで「トリスタンとイゾルデ」が完成した(1859年8月6日)。5度目の滞在は最も長いものになり、1866-72年の間、ルツェルンの直ぐ側にあるトリプシェンという場所に居を構えた(この地で娘エーファ、息子ジークフリートが生まれた)。 ところで先にも触れたが、ヴァーグナーとコジマはルツェルン市内の教会で、1870年8月25日、結婚式を挙げた。そして同年のコジマの誕生日である12月25日にクリスマスプレゼントをかねて、ヴァーグナーはコジマにあるものを贈った。それはコジマが全く知らなかったことでコジマはそれを非常に喜んだということ。そのヴァーグナーがコジマに贈ったものが「ジークフリート牧歌」である。誕生日の当日の朝、家の階段に陣取った17人のオーケストラとヴァーグナーによって演奏された。もちろん世界初演である。 その「ジークフリート牧歌」の原題は「フィーディー(ジークフリートの愛称)の鳥の歌とオレンジ色の日の出をともなうトリプシェン牧歌」という。自分がヴァーグナーの家に向かっていたとき、頭の中では「ジークフリート牧歌」が流れていた。ただこのとき、このままヴァーグナーの家を目指すより、この風景を見ていた方が良いのではないかと思われた。そして歩みを止め、暫くそこでぼんやりと風景を眺めていた。小鳥のさえずり、眩しい朝陽、湖から吹く冷たい空気など、そこにある全てがフィーアヴァルトシュテッテ湖畔を物語っていた。何分くらいそこにいただろう。
ルツェルン・トリプシェンはヴァーグナー一家にとって非常に意味ある場所である。バイエルンのバイロイトに自身の住まい「ヴァーンフリート荘」を建てたとき、その玄関の所にトリプシェンの紋章を入れた程である。 朝陽を背中に受けながら足早にホテルに戻った。カペル橋を中心とした街並みは、日が昇っているこの瞬間に色々な表情を見せている。僅か5分でも違えば、また別の風景が拡がっている。自分がルツェルンで探していたもの。それがこの風景かも知れない。(2006年4月上旬、スイス・ルツェルン編完) |
|
|
|
|