おでかけ ドイツ・ニュルンベルク |
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ドイツ・ニュルンベルク。バイエルン第二の都市であるこの街は「Nourenbrec」という名前で初めて文献に登場した。それが11世紀である。ハインリヒ3世が城を築いて以後、ドイツ各地と地中海地方とを結ぶ交易の中心となり、帝国自由都市として発展した。街としては15、16世紀に最も繁栄し、アウグスブルクとならんでドイツ・ルネサンスの中心地となった。第二次世界大戦では旧市街地の90パーセント以上が空襲によって被害を受けたが、戦後復元され、中世の面影を現在に伝えている。 2004年6月末、いつもお世話になっているバイエルン州立歌劇場の歌手の方がニュルンベルク州立劇場で歌われるというので、この方が運転される車に友人達とご一緒させていただいた。ミュンヘンからニュルンベルクへはアウトバーン(高速道路)を使って約2時間ほどで着くことが出来る。道幅が広く(大部分が片道3車線)、のどかな風景が続いているので運転する方も気分が良いかも知れない。ニュルンベルクへは長い渋滞も特になく僕個人的に想像しているより早く市街地に入った。 ニュルンベルクはミュンヘンと同じバイエルンでもフランケン地方に属するので、オーバーバイエルンに属するミュンヘンとは少し街の雰囲気が違う。またミュンヘンではバイエルンの国旗(州旗)である青白のチェック模様やミュンヘンの色である黒と金色(黄色)のチェック模様をよく目にするが、ニュルンベルクでは青白模様も希で、この街を表す赤と白(紅白)模様を目にすること多い。
かつてのワイン倉の前に駐車してオペラが始まるまでの間、旧市街地区を少し歩こうということになった。かつてのワイン倉の直ぐ側を流れる川、ペグニッツ川にかかるマックス橋から旧市街を歩き始めた。この橋は1457年に建設されたニュルンベルク最古の石橋(1850/52年に改築)で、この橋の名前はバイエルン王マクシミリアン2世に由来する。彼はミュンヘンにマクシミリアン様式と呼ばれる多くの建築を残したが、この橋もよく見てみると欄干などからそれが分かる。 そのマックス橋の直ぐ横にヘンカー橋という名の2つの橋がある。それらの橋を結ぶペグニッツ川中州にはヘンカー塔という塔があるが、ヘンカーというのは死刑執行人を意味している。川のある風景は人に落ち着きをもたらすと思うが、死刑執行人の橋、死刑執行人の塔と、その名前を聞くと少し重く感じてしまう。しかし逆にそれは何処か現実感のない名前のようにすら感じてしまう。
ペグニッツ川にかかるムゼウム橋は1484年に木造の橋として建設された。その名前は橋に隣接して建っていた「美術団体の家」(ムゼウムとは博物館、美術館の意)に由来する。この橋は1700年に改築され、1954年には崩壊したが、同時に拡張工事がなされ現在の姿となった。橋にあるカイザーモニュメントは神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世とヨーゼフ1世のために建てられたもの(カイザーとは皇帝の意で、ここでは神聖ローマ帝国皇帝を指す)。 ムゼウム橋から聖霊院(ハイリヒ・ガイスト・シュピタール)が見える。これは1332-39年に建設された老人・貧困者のための福祉施設。建物中央に紋章が見える。
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