やまねこの物語

おでかけ ドイツ・ニュルンベルク

旅の目的

時期

オペラ鑑賞

2004年6月末

 

    グニッツ川を渡り、街の中心である中央広場にやって来た。中央広場は元々、街の中心ではなく、街の拡張の際(14世紀)に中心地となった。この広場に足を踏み込むとその巨大さから聖母教会が真っ先に目に飛び込んでくる。この広場は元々ユダヤ人居住区であり、拡張の際に虐殺が行われた。その命令を下した皇帝カール4世がシナゴーグ(ユダヤ教会)の建っていた場所に聖母教会を建てさせ(1352-61年)、それを街に寄贈した。皇帝が「街に寄贈した」というと聞こえが良いように感じられるが、シナゴーグが建っていた場所に重厚感のある教会を置いたということから、当時の皇帝の、また帝国の異教徒に対する断固たる措置が垣間見れる。

    しの泉は1385-96年に建てられたで泉で高さ19メートル。数学(ピタゴラス)、哲学(ソクラテス)、文法(ドナトゥス)、修辞(キケロ)、弁証法(アリストテレス)、幾何学(ユークリッド)、天文(プトレマイオス)といった学問、芸術の祖を初め、ルカ、マルコ、ヨハネ、マタイの四福音書著者、7人の選帝侯、カール大帝、ダヴィテ、アレキサンダー等のキリスト教、旧約聖書、ギリシャ・ローマ時代の「英雄」の像など40体の像がある。それらの像は非常に細かく制作されていて素晴らしいものであると思うが、個人的にはこの泉を囲む格子も繊細さと力強さを持っていて非常に興味深い。

中央広場
中央広場

聖母教会
聖母教会

美しの泉
美しの泉

格子
格子

美しの泉
美しの泉

聖ゼバルドゥス教会
聖ゼバルドゥス教会

    央広場を通って、そのまま先に進むと右手に大きな旧市庁舎の建物が見えてくる。これは1616-22年にヤコブ・ヴォルフによって建てられたものであるが、傾斜のある坂に上手く建設されているのが分かって面白い。またバロック様式で建てられた左右に柱が建つ門が、木組みの家や砂岩の赤色の建物が多いこの街では新鮮に感じられた。そういえば当日、ここで初めてバイエルンの青白の国旗を目にした。当日一緒だったニュルンベルクに詳しい友人曰く、バイエルン(ミュンヘン)の一般的な挨拶「グリュース・ゴット」を使う人の数と同じくらい「グーテン・ターク」を使う人が多いとのこと。ニュルンベルクがバイエルンに編入されたのが19世紀初頭なので、その意味においてはニュルンベルクは元々バイエルンではなく、ミュンヘンで日常見られるバイエルンらしさをここで見つけるのは難しいかも知れない。偶然かも知れないが、その日民族衣装を着て街中を歩く人も見かけなかった。

旧市庁舎
旧市庁舎

旧市庁舎
旧市庁舎

旧市庁舎
旧市庁舎

旧市庁舎
旧市庁舎

モザイクによる紋章
モザイクによる紋章

 

    市庁舎の前を通ってさらに進むと、通りの傾斜が少しきつくなり、その屋根が特徴的なフェンボハウスと呼ばれる市立博物館が見えてくる。

フェンボハウス
フェンボハウス

フェンボハウスの日時計
フェンボハウスの日時計

フェンボハウスの看板
フェンボハウスの看板
 

路地
路地
木組みの家が見える

犬のいる風景
犬のいる風景

犬のいる風景
犬のいる風景

坂道
坂道

カイザーブルク
カイザーブルク

    フェンボハウスの横を通り、振り返ってみると坂道を上ってきたと実感させられる。同時に石畳が多いので、例えばハイヒールを履いた女性などは歩きづらいかも知れない。道はそのまま小高い丘の上に立つ城塞カイザーブルク(皇帝の居城の意)まで続いている。その下まで来たところで遅い昼食を取ることにした。本当は旧市庁舎近くの、ガイドブックなどでも紹介されているニュルンベルクソーセージのお店に入ろうとしていたのだが、そちらは定休日だった。いずれにしてもニュルンベルクソーセージとビール(僕が注文したのは白ビール)は本当に美味しい。

レストランの看板
レストランの看板

レストラン
レストラン

レストラン
レストラン

レストラン
レストラン

フタ持参の人達
フタ持参の人達

ニュルンベルクソーセージ(ビールソース)
ニュルンベルクソーセージ(ビールソース)

    食のあと、ニュルンベルクを一望することが出来る、カイザーブルクの場所まで登ることにした。

 

戻る

進む

menu
「おでかけ」のトップに戻る