やまねこの物語

おでかけ オットーボイレン

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2005年11月下旬

 

    ある日僕は一冊の建築の本を開いた。画集のような大きなその本の中に、ある教会礼拝堂の写真があった。その落ち着いた色調と、天にも昇らんとする天井のフレスコ画が心をとらえた。

    ミュンヘン・ヘルクレスザールで Andras Schiff のベートーヴェンを聴いて外に出ると、空から白いものが降っていた。空気は冷えていたが初雪のその光景はそれを忘れさせた。翌日、朝7時頃窓の外を見ると、雪が積もっている。空がまだ明るくないので外は白色ではなく灰色の世界のように感じられた。ここ数日最低気温は氷点下前後になっており、そのうっすらと積もった雪はあるところでは既に溶け、あるところでは土の色を見せながらも残っている。今年の秋は珍しく秋晴れで雲一つない快晴の日が長く続き、秋を実感することが出来た。そして気温が急に冷え込んだと思うと雪が降り、冬への門を叩くことなく、門をくぐったといった感がした。

    冬に足を踏み入れて直ぐに、知人の方から電話があった。「これからオットーボイレンの教会を見に行きませんか」と言うものだった。自分にとって最も見たい教会の一つだったので、喜んで受話器を置き、急いで支度をした。オットーボイレンの教会は南バイエルン・バロック・ロココ街道ルート14番にある教会で、教会やバロック・ロココ様式に関する本には、その綺麗さ故に必ずと言っていい程紹介されている教会である。

    先の方に車で近くまで迎えに来ていただき、車に乗り込んだ。挨拶に「寒いですね」というのが口から出てくる。雪はまだ若干残っているが冬タイヤにしてあるので、運転の方は大丈夫とのこと。それから別の友人を拾ってアウトバーン(高速道路)に乗った。車内のラジオからは Lorin Maazel 指揮のバイエルン放送響、ヴェルディ「レクイエム」が流れていた。クラシック音楽やオペラに詳しい方々なので、車内では先日バイエルン州立歌劇場で観たヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」や後日聴きに行くマーラー「大地の歌」などの話しで盛り上がった。

    車は周りに何もないアウトバーンを走っている。休日だからか道路も空いているようだ。窓の外に目をやると、遠くまで見渡せる開けた土地には、降った雪がそのまま残っており、一面の銀世界と言った印象を受けた。アウトバーンを降りて一般道を走っていると、小さな村のような場所に、非常に大きな教会が建っているのが見えた。場違いに感じられる程、その教会は大きい。教会の二つの塔や存在感ある大きな屋根が印象的だ。

    ところでオットーボイレンは公共交通機関で行くなら電車とバスを乗り継いでいかなければならない。しかもその本数はかなり少なく、非常に不便な場所にある。また(この教会に限らず一般的に)教会が工事をしていることもある。そういったことから、この教会を見たいにもかかわらず、今までなかなか重い腰を上げられなかったが、車で行くと僅か1時間程で着いてしまった。公共交通機関で行くと一日がかりで「小旅行」といった風になるが、車だと「散歩」に近いかも知れない。

    車を降りると空気が肌を刺すように冷たく感じられる。ミュンヘンよりも気温が低いのだろう。広場にある小さな泉の水が凍っているのを目にすると、尚更寒く感じられた。そしてその小さな泉の向こう正面には目指していた教会が見える。しかし入り口の部分には足場が組まれ、どうやら工事がなされているよう。教会は階段を登った小高い丘の上に立っている。教会に近づくにつれ、その大きさに圧倒され、礼拝堂への期待が高まるが、同時に内部が工事されていないか不安も大きくなっていった。工事がなされている場合は足場が組まれ、ビニールシートに覆われていることが多く、礼拝堂の中は何も見えないと言うことがある。教会入り口の扉を開けた。

マルクト広場
マルクト広場

広場にある泉
広場にある泉

市庁舎
市庁舎

市庁舎の塔
市庁舎の塔

鹿の装飾
鹿の装飾
地方に行くと鹿に関するレストランやホテルが多く見られる。
 

教会
教会
小高い丘の上に立つ
 

    オットーボイレンの街はバイエルン・シュヴァーベン地方に位置し、人口8.000人強(2002年12月)、面積55,85キロメートルと非常に小さい街である。この街は550年頃開拓され、8世紀にはフランク王国に属し、この地はシラハ伯爵によって統治された。そして彼と彼一族の援助があって、764年ここにベネディクト会の修道院が建設される。市庁舎の塔にある「764」と言う数字がそれを表している。962年には神聖ローマ帝国皇帝オットー1世によって帝国大修道院の地位に格上げされた。その後、大修道院はアウグスブルク司教区の一部に属することになったり、また三十年戦争など幾多の戦災の遭い、かつての光を失っていたが、ルパート・ネース(1670-1740)が大修道院長の時(1710-1740)、再び皇帝直属の大修道院となった。そして1711年、大修道院がバロック様式で建築されることになった。1737-1766年には“バロックの総決算”として、ミュンヘンの建築家ヨハン・ミヒャエル・フィッシャー(1692-1766)によって後期バロック様式で教会が建築された。その後大修道院はバイエルン王国直属になったが1918年に再び、独立した地位になりその伝統は現在も続いている。オーバーシュヴァーベン唯一のバロック大修道院で、1802/03年の教会財産没収で被害を受けなかった教会の一つでもある。

教会入り口からマルクト広場を見下ろす
教会入り口からマルクト広場を見下ろす

教会
教会

教会正面
教会正面
二つの塔の高さは82メートル。1760年完成。
 

教会正面上部
教会正面上部

 

教会を下から見上げる
教会を下から見上げる

教会入り口
教会入り口

    ところでベネディクト会大修道院オットーボイレンにある、この教会の正式名は「聖アレクサンダーと聖テオドール教会」という。その教会の木製の扉を開けて中に入ると、礼拝堂と入り口空間を仕切る格子がある。まるでユーゲントシュティール様式のような格子が印象的で、柱には紋章があった。

紋章
紋章

格子
格子

 

 

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