おでかけ オットーボイレン |
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礼拝堂を見ると内陣の主祭壇まで一直線に見渡せた。次に目に留まったのは天井のネットだった。どういった目的で取り付けられているのかは不明だが、天井のフレスコ画も見えるので、教会に入る前に感じていた工事の不安はかき消された。同時に今まで見たいと思っていた教会が目の前にあるので、その喜びが急に強くなった。しかしその喜びも直ぐに消えた。正確には喜びを意識しなくなっていたと言った方が良いかも知れない。 これはまるで画集などで眺めていた絵画を実際に目にしたときに感じるものに似ているだろう。最初に沸き上がる感情は、美術館でその絵を発見したときの喜びだ。それから冷静にその絵との距離が徐々に近くなっていく。今までは全体を捉えていたものが、徐々に細部まで見えてくるのだ。このとき、絵画と自分の間には、画集では伝わらない、何者をも寄せ付けないような空気がある。この見えない空気の存在が教会では強く感じられた。 次に感じたのは礼拝堂の大きさである。本などから想像していたよりも小さく感じられた。そう感じたとき、初めて冷静に教会を見ることが出来た。 礼拝堂は白を基調としていて、正面にあるフレスコ画が天上の華やかな世界を表しているように見える。格子の部分から礼拝堂を見ると視界の上半分がフレスコ画の描かれた天井で、非常に圧倒される。足を一歩一歩進めると天井は新たな世界を見せ、また例えば入り口からは見えなかった祭壇が見えてきたりと、教会は別の表情を見せる。まるで一歩一歩、神の地に近づいていくようだ。そう感じる要因の一つに教会の構造が挙げられる。 この教会はロマネスク様式のような上から見ると十字架の形をしている。そしてその十字の横棒に当たる箇所は壁が曲線を描いており、それぞれの角度に窓がある。またそれぞれの窓も大きいので非常に明るい。礼拝堂入り口から正面、主祭壇方面を見ると、その十字のクロスする部分が他の箇所より随分明るく、まるでそこに神の姿があるかのように奥が明るく感じられる。そういったところにも建築家ヨハン・ミヒャエル・フィッシャーの建築美が窺える。 先にも書いたがこの教会は1737-1766年に“バロックの総決算”として建設された。フレスコ画やその他の絵画はチロルの画家ヨハン・ヤコブ・ツァイラー(1708-1783)とその従弟のフランツ・アントン・ツァイラー(1716-1794)によって描かれた。また彫像はヨハン・ヨーゼフ・クリスティアン(1706-1777)によって、スタッコ装飾はヨハン・ミヒャエル・フォイヒトマイヤー(1709-1772)、二つのバロックオルガンはカール・ヨーゼフ・リープ(1710-1775)によって制作された。
この礼拝堂で普段話す声より少し大きめに「あっ!」と声を出すと、その声が非常に良く響く。礼拝堂は、柱の装飾など、でこぼこしており、例えばロマネスク様式のシンプルな礼拝堂などに比べると音が良いかも知れない。先程車のラジオで聞いていたせいか、ヴェルディの「レクイエム」が思い起こされたが、ここでそれを聴くと非常に力強い迫力を体験出来るかも知れない。調べてみるとこの教会では1945年以降、様々なコンサートが開かれている。指揮者も有名な人が来ているようだ。カラヤン、レナード・バーンスタイン、オイゲン・ヨッフム、ラファエル・クーベリック、カール・リヒターといった人が名を連ねている。 コンサートにはオルガンコンサートもある。マリアオルガンだけを使ったものや内陣の聖霊オルガンと三位一体オルガンを使ったものがある。後者の二つのオルガンは木製の内陣座席と一緒になっていて、非常に温かみのあるものに感じられる。その奏でる音も温かみ、深みのある音だろう。
この教会の見所の一つは天井のフレスコ画だろう。格子から礼拝堂を正面に見ると、フレスコ画のその華やかさに心奪われる。先にも書いたように、格子の部分から礼拝堂を見ると視界の上半分がフレスコ画の描かれた天井である。それぞれのフレスコ画には、それぞれの世界があって、見る者をその世界に誘う。
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