おでかけ ドイツ・ザールブリュッケン |
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ドイツ・ザールブリュッケン Saarbruecken。この名前を聞くとドイツ・フランス国境の街と思い出す。ザールブリュッケンはドイツ・ザールラント州の主都で人口約19万人。全体の90パーセント以上はドイツ人であるが、この街(州)は炭田と製鉄業で優れていたので、古くからドイツとフランスの間で街の領有を巡る争いがあった。ナポレオン時代にはフランス領となり、1815年にはバイエルン領とプロイセン領に分割。そして1871年のドイツ統一でドイツ領となった。第一次世界大戦後は国際連盟の管理下に置かれ、炭坑に関してはフランスに帰属することとなった。その後、第三帝国期の1935年には住民投票でドイツに復帰、第二次世界大戦後はフランスによって占領され、1947年にはドイツからの独立を宣言した。そして1955年、住民投票が行われ(独立派に対しドイツ復帰派が勝利)、翌年ドイツ・フランス間で協定が成立し、1957年7月1日よりドイツに編入された。つまりザールブリュッケンはドイツ領になったりフランス領になったりと複雑な歴史を持っている。 というわけで、その街にあるザールラント州立歌劇場で行われているミュージカル「レ・ミゼラブル」を友人の薦めで旅行をかねて観に行くことにした。ミュンヘンからザールブリュッケンには幾つか行く方法があるが僕はマンハイム経由で行くことにした。そしてマンハイムでの乗り換え時、時間があったのでパンを購入しようとマンハイム駅構内にあるお店を覗いた。列に並んで後ろからパンを選んでいると、お店の人が「グーテン・ターク」と挨拶をしてきた。僕は思わずハッ!として顔を上げた。そうだ、ここはバイエルンではなかった。バイエルンでは挨拶をするとき「グーテン・ターク」とは言わず「グリュース・ゴット」と言う。「グーテン・ターク」と聞いて、思わず外国語だ!と思った。その後電車を乗り換えたあとも車掌さんは、当たり前だが「グーテン・ターク」と挨拶をしてきた。
「グーテン・ターク」という挨拶に少し緊張していたが、電車は遅れることなくザールブリュッケンに到着した。僕はその足で予約をしておいた駅前のホテルに向かったが、そのホテルはそれだけ歴史があるのか、階段の真ん中部分が明らかにそうだと分かるくらい凹んでいる。しかも一段上がるごとにキーキーと音を立てる。無事チェックインもすませ、市内観光に向かった。 ザールブリュッケンには非常に大きな歩行者天国がある。ミュンヘンのも大きいと感じたが、もしかするとそれ以上かも知れない。お店はミュンヘンのものとほとんど変わらず、知っている名前が幾つも並んでいた。しかし何より感心したのは歩行者天国の両側には屋根があり、しかもその幅も狭くない。僕が訪れた日はちょうど雨が降ったり、晴れたりといった慌ただしい天候で、歩行者天国の屋根には随分助けられた。話は変わるが、そういえばこの街を走るトラムは、何処かスタイルの良さを感じさせるフォームで、一度は乗ってみたかったのだが、市の中心部は歩いて行くことが出来る範囲内に全てあるので結局利用することはなかった。面白いと感じたのは全部で三両あるうち、一両目と三両目にそれぞれ二つドアがあり、真ん中の二両目にはドアがないということだ。
歩行者天国はその長さもミュンヘンと同じくらい長く感じた。途中、教会の塔が見えてきたのでそちらに向かって歩くことにした。その教会の塔を目指して歩いたが、このあたりには赤レンガ造りの建物が多かった。そういえば電車に乗っていてもザールブリュッケン近くではレンガ造りの建物が非常に多く、また削られた山肌を見ると赤土が多く、もしかするとここは赤レンガの産地かも知れない。ところで先程見えていた教会の塔は、ヨハネ教会(プロテスタント、1894-98年建設)のものであったが、この教会には残念ながら入ることが出来なかった。この街では当日、幾つかの教会を訪れたが中に入ることの出来ないものが多かった。
この街は既に1000年以上の歴史のある古い街であるが、第二次世界大戦でその70パーセント以上が破壊されたそうだ。 |
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