今回のザルツブルクへの旅は、先にも書いたが「サウンド・オブ・ミュージック」ファンのHさんの希望ということなので、その舞台にもなったミラベル庭園に向かった。人通りの多い旧市街地を歩いていると、偶然、探し求めておられたお土産の品があったので、それを迷わず購入された。僕自身もその商品がミュンヘンにあるか気になっていたので、少し安心した。
ザルツアッハ川を渡り、ミラベル庭園まで来ると、ここはさすがに観光客の姿が多い。しかし地元の人も人と喋ったり、本を読んだりしてくつろいでいる。有名な観光地でありながら、そこは人の生活空間でもある。それを意識すると、そこが魅せるために庭園という要素を持ちつつ、落ち着いた憩うための場所という気もした。
ところでミラベル庭園の「ミラベル」とは「美しい眺め」という意味であるが、この「美しい眺め」の由来は庭園ではなく、庭園に隣接して建つ宮殿にある。ミラベル宮殿は1606年、大司教ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウが、商人の娘でユダヤ教徒であった愛人サロメ・アルトのために、当時、市の外側であった場所に彼の別荘として建てた宮殿である(10人の子供をもうける)。そして彼はその別荘を彼女の名前に因んで「アルテナウ」と名付けた。
当時のザルツブルクにおいて独裁的な権力を持っていたヴォルフ・ディートリヒだったが、彼はバイエルン大公国と製塩権をめぐって破れたのを期に退位させられ(1612年)、ホーエンザルツブルク城に幽閉され、そのまま亡くなった。アルテナウ宮殿は彼の後継者で、また従兄弟であったマルクス・シッティクスの所有になり、同時にサロメ・アルトとその子供たちは追放された。その際、彼は前任者ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウの記憶を消し去るために、この宮殿を(未来に向けて)「美しい眺望、眺め」という意味でミラベル宮殿と改名した。
そしてそのミラベル宮殿に隣接する庭園が1690年、フィッシャー・フォン・エルラッハによって設計された。そのミラベル庭園は現在も当時と同じバロック様式の美しい姿を見せている。庭園が完成した頃は大司教ヨハン・エルンスト・フォン・トゥーンがこの地を統治していた時で、彼は「設立者」「寄進者」と呼ばれているが、その彼の時代にザルツブルク・バロックが最盛期を迎えた。「美しい眺め」の名が付いた宮殿及び庭園は、現在多くの人に愛される場所になっており、その名前に相応しい場所となっている。
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