やまねこの物語

おでかけ オーストリア・ザルツブルク

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2005年6月中旬

 

マリエンゾイレ
マリエンゾイレ
ヴォルフガングとヨハン・バプティストのハーゲナウアー兄弟に
よって1766-71年建設された。

マリア像
マリア像

 

大聖堂
大聖堂
1598年から建設が始められた現在の大聖堂は
アルプス以北で初めての初期バロック様式の教会。
二つの塔の高さは79m、ドーム75m。
10500人分の座席がある。

観光馬車
観光馬車

 

 

レジデンツの噴水
レジデンツの噴水
1656-51年、大司教グイドバルト・トゥーンの
依頼によって建設された。

レジデンツの噴水
レジデンツの噴水

 


モーツァルト広場に着くと、ガイドの人がそれまでと同じように赤い長い傘を持って待っていた。回りを見てみると、どうやら僕達が一番に戻ってきたようだ。ガイドの人が持っている赤い傘、これは街中で人混みがある時には、非常に分かりやすい目印となった。その傘の色だけでなく、晴れの日の傘というのは分かりやすい。逆にもし雨が降っていて、街にいる人みんなが傘を差していたならば埋もれてしまう可能性もあったが。この日のザルツブルクの天気は予報では晴れ・曇り・雨と全ての予報が出ていた。個人的には気温が低いのではと思っていたが、それまでの数日間で最も暑い日だった。僕達がミラベル庭園にいた時、眩しいくらいに天気が良く、それが庭園に植えられている花や植物に彩りを添えていた。そして僕達がミラベル庭園をあとにし、カフェに着いた頃、雲が出て少し薄暗くなり始めた。

ところでモーツァルト広場にはモーツァルト像が立っている。もともとは隣にある教会(ミヒャエル教会)に因んでミヒャエル広場と呼ばれていた場所である。その広場の中心にミヒャエルスブルンネンという噴水があった。1842年その噴水の場所にモーツァルト像が立てられ、ここがモーツァルト広場と呼ばれるようになったが、このモーツァルト像はミュンヘンの彫刻家ルートヴィヒ・フォン・シュヴァンターラーによって製作され、鋳造は同じくミュンヘンの会社シュティーグルマイヤーによってなされた。

モーツァルト像の建設は既に1835年頃から作家ユリウス・シリングなどによって考えられていたが、問題はその費用であった。そこで多大な貢献・寄付をしたのがバイエルン王ルートヴィヒ1世だった。ザルツブルクは過去にバイエルン領になったこともあり、また神聖ローマ帝国崩壊後、一時期バイエルン王国に帰属していた。王ルートヴィヒ1世の貢献により、先に挙げた二人の手によってモーツァルト像が完成された。しかし、当初の予定では1841年には除幕式を迎えるはずであったが、この建設予定地の発掘調査により、「ここに幸あり」といったことが書かれたローマ時代のモザイクが発見され、建設予定は延期となり、1842年9月4日、モーツァルトの二人の息子(フランツ・クサファーとカール)出席のもと除幕式が行われた。その発掘調査時に発見されたモザイクは現在、モーツァルト像の足下に設置されてあるが、いずれにしても、モーツァルト像建設にバイエルン王ルートヴィヒ1世が関わっているのが、個人的に興味深く思われる。
 

モーツァルト像
モーツァルト像
故郷のシンボルである岩石の上に足を置いている。

モーツァルト像
モーツァルト像
右手に筆記具を持っている

モーツァルト像
モーツァルト像

モーツァルト像足下のモザイク
モーツァルト像足下のモザイク

 

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