やまねこの物語

おでかけ ドイツ・ゼーオン〜ヴァッサーブルク

旅の目的

時期

観光

2006年5月下旬

 

    フロントガラスには叩きつけるような雨が降っていた。知人の運転する車でバイエルンの東に位置するゼーオン修道院に向かった。この日の天気予報は曇り時々雨で気温もそれほど高くならないと言うこと。半袖では少し寒く感じられる。雨が降っていたものの平日だったのでアウトバーンも空いており、ゼーオン修道院までの道のりは順調だった。

    そしてその途中にあるシュタイン・アン・デア・トラウンという場所に立ち寄った。そこには約40メートルの垂直の洞窟があり、かつてはケルト人が逃げ隠れたところとされている。中世にはその洞窟を利用した城塞が築かれ、それはドイツで最も大きいものの一つと言うこと。1135年には文書に記載されているこの城は、13世紀から1633年までテリング伯爵家の所有となり、その後は様々な目的で利用された。またその梺にはシュロス(宮殿)が建てられ、現在それはギムナジウムの校舎として利用されていると言うこと。こういった情報を本で見つけたのだが、実際そういった場所があるとは、この時まで知らなかった。「洞窟を利用した城塞」「宮殿」など、そういった言葉を聞くと心が躍る。

    車でなだらかな丘陵地を走っていると、遠くの丘の上に小さな古い城らしきものが見えた。どうやらそれが目指している城郭のようだ。しかし目指す城郭の行き方が分からない。というのは見えているのに道がないのである。幾つか道を行ったがどれも行き止まりだった。その上、案内板もない。何度も現地の人を探しては城郭までの道を尋ねてどうにかその近くまで行くことが出来た。近くまで行って分かったのは、どうやら丘の上の城へ車で行くことは不可能と言うこと。

    そこで現在ギムナジウムの校舎として使われているかつての宮殿の方へ向かった。そこにはバイエルンで見られる青と白のマイバウムが立っていた。また小さな郵便局やバス停もあるので、ここが村の中心だろう。ギムナジウムは簡単に見つけることが出来た。その城郭への入り口には紋章が付いているが、それが辺りに何もないようなこの地の重要さを物語っていた。しかし「洞窟を利用した城塞」というのは、外から見ただけでは分からなかった。ガイドツアーにてその施設を見られるとあったが、時間的に難しかったので今回は諦めることにした。

城郭への入り口
城郭への入り口

紋章
紋章

城郭
城郭

宮殿
宮殿

宮殿
宮殿

ビール醸造所
ビール醸造所

    シュタイン・アン・デア・トラウンには少し立ち寄るという程度だったが、迷ったせいか予想以上に時間がかかってしまった。そこからゼーオン修道院へと向かったが、それは30分もかからない距離だった。修道院の駐車場前にはクロスターゼー(修道院湖)が拡がっている。この頃になると雨も止んでいたが、湖面を見ると細かい雨が降っているようにも見える。時計を見ると既に午後1時を回っていたので、修道院入り口近くにあるお店で昼食を取ることにした。

    このお店はカフェ・ロイヒテンベルクというお店で、そのロイヒテンベルクという名は大公家の名前である。1817年バイエルン王マクシミリアン1世は王女アウグスト・アマーリエ(1788-1851)と結婚した、皇帝ナポレオンの息子ウジェーヌ(1781-1824)のためにこの称号を与えた。そこからロイヒテンベルク大公家の歴史が始まる。

    湖に面するテラスの場所で食事を頂いたが、雨だったのでガラス戸も閉められていた。夏になれば湖を見ながら開放的な気分で食事も出来ることだろう。

クロスターゼー
クロスターゼー

クロスターゼーの岸にある彫像
クロスターゼーの岸にある彫像

カフェ・ロイヒテンベルク
カフェ・ロイヒテンベルク

カフェ・ロイヒテンベルクのメニュー
カフェ・ロイヒテンベルクのメニュー
大公女アウグスト・アマーリエ・フォン・ロイヒテンベルクが
描かれている。

カフェ・ロイヒテンベルクのテラス
カフェ・ロイヒテンベルクのテラス

頂いた食事
頂いた食事

    ロイヒテンベルク家は廃止された後のゼーオン修道院の建物を所有しており、その直ぐ側にあるヴァルブルギス教会を大公家の墓所とした。その墓地を見てみると東方教会の十字架などが幾つも見られる。これはロイヒテンベルク大公家が結婚などでロシア皇帝とも親戚関係となったことに関連している。つまり大公家にはロシアとの繋がりがあり、その中には非常にロシア寄りの人物もいたということである(ちなみにウジェーヌとアウグスト・アマーリエはミュンヘン・聖ミヒャエル教会にあるヴィッテルスバッハ家の墓所に眠っている)。

    ヴァルブルギス教会は現在修復中で、礼拝堂の中には祭壇も置かれていない。壁には修復に関する資料パネルが展示されている。地道に色を塗っている様子がそこにはあった。この教会は小さな教会だが、それでもその修復には多くの年月を費やしている。こういった教会は祈りの場所であると同時に文化財でもあるが、それらを後世に伝えるために保存・管理していくことの難しさが感じられた。

修道院まで続く道
修道院まで続く道

修道院とクロスターゼーを望む
修道院とクロスターゼーを望む

ヴァルブルギス教会
ヴァルブルギス教会

ヴァルブルギス教会礼拝堂
ヴァルブルギス教会礼拝堂

ヴァルブルギス教会付属墓地
ヴァルブルギス教会付属墓地

ロイヒテンベルク大公家の墓碑
ロイヒテンベルク大公家の墓碑

ロイヒテンベルク大公家の墓所
ロイヒテンベルク大公家の墓所
ゲオルク・フォン・ロイヒテンベルク(1872-1929)の墓。

ロイヒテンベルク大公家の墓碑
ロイヒテンベルク大公家の墓碑
ゲオルク・フォン・ロイヒテンベルク(1872-1929)の墓。

    ヴァルブルギス教会を出ると、正面にゼーオン修道院(聖ランベルト教会)の二つの塔が見える。これはロマネスク様式でフライジング大聖堂を模して建てられたものだったが、1561年の大火の後、ミュンヘンの聖母教会のようにタマネギ形の屋根にされたと言うこと。また近くにはモーツァルト(1756-1791)と修道院の関係を表した看板があった。それによるとモーツァルトはこの修道院で作曲をしたと言うことだった。

ゼーオン修道院を望む
ゼーオン修道院を望む

モーツァルトの看板
モーツァルトの看板

 

 

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