| カフェで暫く休んだ後、もう一度ドナウ川沿いに足を運んで石橋を渡ることにした。先程まで降っていた雨も既に上がっている。僕たちは、この道を既に何度も通ったことがあるかのようにドナウ川までの路地を歩いた。
先にも書いたが石橋は1135-1146年に建設された(16のアーチ、全長330m)。流れの速いドナウに架けるには11年の年月を費やした。14世紀に建設されたゲートをくぐって石橋を進むと橋の左側に、大聖堂方面を見ている小男の像がある。Bluckmandl
ブルックマンデルと呼ばれるこの像は、石橋の建設に携わった建築士と言われている。
この建築士は大聖堂を作る建築士(彼は石橋建築士の師匠であった)と、石橋と大聖堂のどちらが早く完成するか競争をした。そこで石橋の建築士は大聖堂建設工事の進み具合を、ここに上って見張っていたということである。勝負は石橋の建設を進める建築士が悪魔と取引をし、悪魔の力を借りることによって石橋を完成させた。弟子との勝負に負けた大聖堂の建築士は未完成の大聖堂から身を投げ、同時に大聖堂も破壊されてしまったとのこと。ちなみに悪魔は石橋建築士と取引をしたが、悪魔は3つ(3人)の魂を望んだ。しかし建築士はそれらの魂の代わりに、犬、雄鶏、雌鶏を贈ったとのことである。また石橋の建築士は、悪魔と契約したことに対する罰として石橋の上に座らせられているという伝説もある。
友人と石橋を渡った。ドナウにかかる石橋の上は風が非常に冷たく感じられる。遠くを見れば、今にも雨が降り出してきそうな黒い雲が見えた。そこでミュンヘンに帰るべく中央駅に向かうことにした。暫くするとまた雨が降り始めてきた。駅へ向かう途中、もう一度大聖堂に立ち寄った。大聖堂の重い扉を開け中に入ると、ミサの行われていた午前中の厳粛な雰囲気が少し薄れ、観光的に教会を回れる雰囲気があった。礼拝堂内は非常に暗かった。ゴシックの細い身廊と柱が、天に近づこうとする建築の繊細さを更に強調している気がした。その中に光るステンドグラスは、道標のようにも見える。
「パイプオルガンは何処にあるの?」友人が聞いてきた。確かに見あたらない。小さなオルガンはあったが、礼拝堂に普通ある大きなパイプオルガンが見つからない。もしかすると暗かったので、見えなかっただけかも知れないが、2度礼拝堂内を回ったにもかかわらず見つけられなかった。
ところでこの大聖堂聖ペーターは、石橋の建築士と競争した建築士が建てたものではなく、1260/70年頃に建設工事が始められたゴシック様式の教会で、1520年に尖塔が完成したところで、大聖堂の「一時的」完成とされた。その後1859年から1872年までバイエルン王ルートヴィヒ1世のもと現在の尖塔(高さ105m)が完成し、教会が正式に完成したとされる。
大聖堂を後にし、駅に向かう途中にある旧礼拝堂に立ち寄ろうとしたが、礼拝堂の入り口を見つけるのが容易ではなかった。およそ一周したところに小さな入り口を見つけて礼拝堂に足を踏み入れたが、その外観からは想像出来ないロココ様式の教会であった。外観はすぐに後期ゴシック様式と分かるが、礼拝堂内部の装飾等がロココ様式に改装されているところを見ると、旧礼拝堂という名前の通り長い歴史をもっているのが想像出来る。この教会が文献に出てきたのは875年だが、それは教会の倒壊を記していた。僕たちが訪れた時、礼拝堂内部への格子は閉じられたままで礼拝堂の全てを目にすることが出来なかったが、王ルートヴィヒ1世が存続を許可したという、この教会を見ることが出来たのは良かった。
駅に向かうべく、石畳が続く道を歩いた。雨は先程よりも強くなっている。今回のヴァルハラへの旅は王ルートヴィヒ1世の世界に少し近づいた気がして嬉しかった。僕としては何よりも、大切なひとと旅に出れたのが良かった。雨のせいか足並みが自然と揃っていた。(2004年10月中旬ヴァルハラ編完)
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