やまねこの物語

おでかけ ドイツ・ヴァルハラ

旅の目的

時期

観光

2004年10月中旬

 

レーゲンスブルクへの遊覧船の時間は、一度目にした景色があるからか、ヴァルハラへ向かった時よりも早く感じられた。もちろん川の流れも影響していると思われるが、もしかすると大聖堂の尖塔が見えてきたことにより、船が街に着くと意識したのかも知れない。船から下りると時間は既に2時前になっていた。そこで少し遅い昼食を取ることにした。船着き場の直ぐ側にある Historische Wurstkueche ヒストリッシェ・ヴルストキュッヘという名のお店に入ることにした。直訳すれば「歴史的なソーセージのお店」といったところか。このお店はドナウにかかる石橋の直ぐ横にある。

石橋は1135-1146年に建設されたが、16のアーチがある全長330mの橋を流れの速いドナウに架けるには11年の年月を費やした。その石橋建設に携わった人々のために1138年に建てられたお店が、このソーセージのお店で、これは世界最古のソーセージのお店である。そこから「歴史的な」という名前が付いた。このお店ではレーゲンスブルガーと呼ばれる細めのソーセージをその場で炭火焼きしたものを客に提供している。

僕たちもドナウ川を望む場所にある、そのお店の席に着いた。夏であれば、冷えたビールも美味しかったのだろうが、10月の外は寒かったので冷たい飲み物は注文せず、ジャガイモのスープを注文した。これもこのお店の名物的な料理らしい。暫くするとお皿に入れられた温かいスープがテーブルに運ばれてきた。橋建設の作業員も当時こうやって暖をとったのかも知れない。このスープを口にして、少し冷えた体も落ち着いた気がした。その後、レーゲンスブルガーが運ばれてきた。ザウワークラウトという酢漬けのキャベツの上にそれらが載せられている。その場で焼かれたレーゲンスブルガーはカリッとしていて、また所々焦げている。それに甘い辛子を付けて食べると、シンプルな味にもかかわらず非常に美味しく感じられる。またテーブルの上に置かれてあるクミン入りのパンも非常に香ばしくて美味しかった。
 

ヒストリッシェ・ヴルストキュッヘ
ヒストリッシェ・ヴルストキュッヘ
後ろに見える黄色の建物はかつてヴァイセス・ラムと呼ばれた宿。
ゲーテ、ハイドン、モーツァルトが滞在した記録が残っている。
 

ヒストリッシェ・ヴルストキュッヘ
ヒストリッシェ・ヴルストキュッヘ


 

ヒストリッシェ・ヴルストキュッヘ
ヒストリッシェ・ヴルストキュッヘ
  

お店から見る石橋
お店から見る石橋
  

ジャガイモのスープ
ジャガイモのスープ
  

レーゲンスブルガー
レーゲンスブルガー
  

ソーセージを焼く厨房
ソーセージを焼く厨房
  

お店の壁にある洪水の記録
お店の壁にある洪水の記録
  

塩の倉庫
塩の倉庫
中世のレーゲンスブルクの街を繁栄させた白い黄金と
呼ばれる塩を管理していた倉庫(1616-20年建設)。
アルプスの山中で掘り出された塩がここで船から降ろされた。
この建物は歴史的な倉庫としてはドイツで最も大きなものの一つ。
 

街並み
街並み



 


その簡単な食事の後、街中を散歩することにした。僕たちはまずツーリスト・インフォメーションに行くことにした。石畳の細い路地を通りながら、インフォメーションがある旧市庁舎に向かった。そこでドイツ語と日本語の簡単な案内を手にして僕たちは何処に行こうか考えた。それでまず歌劇場に向かうことにした。演目によってはそこで何か観ても良い。案内地図を見ると、そこに Statt-Theater というのがある。レーゲンスブルクの歌劇場は州立だっただろうかと考えながら、地図に書かれた場所に向かった。

数年前にレーゲンスブルクを訪れた時、その前を車で通ったことがあり、その際「ここが歌劇場」と教えてもらった。ギリシャ風の柱がある建物だと印象に残っていたが、地図を頼りに歩いても、何処にもそのような建物は見あたらない。迷いながらも地図が示す場所に到着した。が、そこにはギリシャ風の柱もなく、歌劇場の雰囲気は何処にも見あたらなかった。そこでもう一度案内を見てみた。その時、Statt-Theater を僕が州立の Staat-Theater と勘違いしていることに友人が気付いた。Statt-Theater は歌劇場ではなくてコメディー劇場だった。「ごめん!」と謝りながら本当の歌劇場に向かった。勘違いしていた場所と本来向かうべき場所とは、幸いそれほど離れていなかったが、ここで雨がポツリポツリと降り始めてきた。天気予報通りであったが、とにかくヴァルハラにいるときに降らなく良かったと友人と話しながら歩いると、直ぐに歌劇場は見つかった。歌劇場は州立ではなくて市立のようだ。残念ながらその日の演目はなかったので、劇場へ来る途中、旧市庁舎付近で見つけたカフェで休憩することにした。

僕たちが向かったのは Prinzess プリンツェスというお店で、入り口横に「1686年にオープンしたドイツ最古のカフェ」との表示があるお店である。またこのお店はドイツで最初にプラリーネが製造された場所でもある。プラリーネとは果実や洋酒をつめた一口サイズの(高級)チョコレート菓子である。1676年、レーゲンスブルクで開かれた神聖ローマ帝国議会にフランスから派遣された使節の荷物の中に、このプラリーネがあった。それからレーゲンスブルクで開催される帝国議会では、これが出されることが義務づけされるようになったとのことである。

僕たちは階段を上って2階のカフェに入った。店内はそう広くない。夕方だったせいか、お店の中は休憩をしている人が多く、一杯だったが、運良く小さな丸テーブルが空いたので、そこに腰掛けた。僕たちはそこでケーキとカプチーノを注文し一息ついた。壁際に置かれた人の背丈ほどある、大きな白いストーブが目に付く。またお店の入り口や階段にはショーケースに入れられた人形があり、それぞれ値札が付いていたが、一体誰が購入するのかと思わせるような値段が付いていた。
 

石橋への門
石橋への門
  

石橋への門
石橋への門

石橋への門
石橋への門

 
 

ゴリアトハウス
ゴリアトハウス
13世紀中頃に建てられた。聖書サムエル記からの
フレスコ画「巨人ゴリアトとダビデ」は1573年
ボックスベルガーによって描かれたもの。

バウムブルガー塔
バウムブルガー塔
1260年頃に建設。現在はダンプフ・ヌーデルン
(酵母入りの蒸しパンのようなもの)の代表的なお店。
僕たちが訪れた時は日曜日だったので定休日だった。残念。
 

旧市庁舎
旧市庁舎
1360年、市参事会の舞踏場、祝祭広間として建設。
1663-1806年の間、神聖ローマ帝国の永続帝国議会が
開かれていた場所。現在この一階に
ツーリスト・インフォメーションがある。

新市庁舎入り口
新市庁舎入り口
新市庁舎は17-18世紀にかけて建設された。
1662年に建てられた初期バロック様式の入り口には
レーゲンスブルクの紋章と神聖ローマ帝国ハプスブルク家の
双頭の鷲の紋章がある。
 

旧市庁舎と新市庁舎の間にある塔
旧市庁舎と新市庁舎の間にある塔
1250年に建設。1360年、火災にあい、
その後修復される。
1772年に現在の方形の屋根が取り付けられた。

ドン・ファン・デ・オーストリア像
ドン・ファン・デ・オーストリア像
皇帝カール5世と市民の娘バーバラの間に生まれた
ドン・ファン・デ・オーストリア(1547-1578)は皇帝の息子として、
大切に育てられた。彼は24歳の時、レパントの海戦で
スペイン・ヴェネツィア軍(神聖同盟艦隊)を率い、オスマントルコ
艦隊を破り英雄となるが、31歳の若さで亡くなる。
像の後ろには彼の名の付いたカフェがある。
 

ノイエ・ヴァーク
ノイエ・ヴァーク
ピンクの建物。1541年にヨハンネス・エックと
フィリップ・メランヒトンで宗教論争が行われた場所。
僕は知らずに通り過ぎてしまった。残念。


 

ハイト広場
ハイト広場
三角形の形をした広場で930年、レーゲンスブルクの騎士
ドリンガーと悪党クラコが馬上試合をした場所。
13世紀以降貴族が住む場所となる。帝国会議の期間中は
ここで多くの催しがなされた。

ダス・ゴールデネ・クロイツ
ダス・ゴールデネ・クロイツ
灰色の建物。13世紀中頃に建設された。皇帝など
貴族が泊まるホテルとして利用された。ここで
ドン・ファン・デ・オーストリアが生まれた。
 

トーン・ディトマー宮殿とユスティティアの泉
トーン・ディトマー宮殿とユスティティアの泉
  

市立劇場
市立劇場

かつてのフランス公使館とビスマルク広場
かつてのフランス公使館とビスマルク広場
ローマ時代からある広場。1885年、
帝国宰相ビスマルクに因んで改名された。

ビスマルク広場にある門
ビスマルク広場にある門
  

カフェ・プリンツェス
カフェ・プリンツェス
  

カフェ・プリンツェス
カフェ・プリンツェス
  

カフェ・プリンツェス
カフェ・プリンツェス

カフェ・プリンツェス
カフェ・プリンツェス

 

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