| 神殿内を見た後、外に出てドナウ川を見た。405mの高さの丘の上に神殿は建てられているが、そこからは曲を描きながら東西に延びるドナウ川を見ることが出来る。目の前には地平線まで遮るものが何もない雄大な景色が拡がっている。神殿側からこの景色を見ると、何故この様な場所に神々を集めたのか、と思わざるを得ないほど何もない風景が拡がっている。しかし言い換えれば、それこそがドイツらしいとも言える。神々がいる場所として相応しいのかも知れない。
ここで友人が、小説に出てきたように柱にもたれたいと言った。だから僕も真似をして柱にもたれてみたが、ドリス式の柱は単なる円柱ではなく筋があるので、もたれるには適さない柱のように思えた。ただもたれてみると、時間が止まったようにも感じられ、自分がその風景と一体感をなしているようにも感じられた。
神殿前にある階段を下りて、この柱を下から見ると、上部が細くなっているその特徴から、神殿が更に高くあるように見え、同時に装飾のない柱から、その重厚さを感じることが出来る。このことは神殿内にいる神々に対する印象にも影響を与えていると思われる。神殿が置かれた場所だけでなく、神殿の建物そのものが、まさしくヴァルハラを意味している気がした。
ところで遊覧船が停泊している時間は約1時間しかない。その時間にはヴァルハラ神殿への登り下りも含まれている。僕は神殿内にある127体の胸像全てと64の碑文全てを写真に撮っていたので、気付けば遊覧船の出航する時間が迫っていた。友人と急いで坂道を駆け下りた。必死さが手伝ってか、文字通り一気に坂を駆け下りた。船が見えた。今乗ろうとしているということをアピールしながら、船までの残りの距離を走った。無事船に乗ることが出来たが、振り返るとどうやら僕たちが最後だったようだ。僕たちはヴァルハラへ来た時と同じように小さな螺旋階段を上って2階に向かった。そこで船がゆっくりと動き出した。
必死に坂道を下りてきたからか、体が少し火照っている。暫く船内に入らず、外の風を受けながら、小さくなっていくヴァルハラ神殿を見ていた。見えなくなるまで神殿を見ていたが、見えなくなったと同時に風が冷たく感じられ、船内に入って空いている席に着いた。ところで王ルートヴィヒ1世は、ドナウ川に運河を造った。元々8世紀頃にカール大帝が計画していたものだが、大帝の元では実現しえなかった。19世紀になって王ルートヴィヒ1世の時代、初めてドナウ川とライン川を結ぶ全長173kmのルートヴィヒ・ライン・マイン運河が完成した。第二次世界大戦でこの運河は破壊されたが、王ルートヴィヒ1世とドナウ川とのそういった関係を意識すると、ヴァルハラ神殿が遠く離れた場所とは感じられなかった。
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