| 大聖堂の入り口の大きな扉を開け、礼拝堂の中に足を踏み入れた。石造りの教会の中は天井が高く、また冷たい空気が漂うひっそりとした空間であったが、一瞬にしてカメラのレンズが曇った。それだけ外の気温が低いのだろう。また礼拝堂内は風が吹いていないので、少し暖かくも感じられた。入って直ぐの所に理想の騎士像とされる「バンベルクの騎士像」(1225-37年制作とされる)が大きな柱の所にあった。
ドイツで始めて作られた(大きな)騎士像とされる「バンベルクの騎士像」は誰がそのモデルになったのか未だ定かではない。一説には皇帝ハインリヒ2世の妹ギゼラと結婚したイシュトヴァーン・フォン・ウンガルン(ハンガリーのイシュトヴァーン、つまりハンガリーの初代国王イシュトヴァーン)ではないかとされる。彼は結婚を機にカトリックに改宗し、その結果ハンガリーの宗教がキリスト教に定められた。
その直ぐ横の、東側の内陣であるゲオルグ内陣は後期ロマネスク様式で建築されている。その低い窓を見れば、直ぐにそれが認識出来る。半円形のアプスを持ったゲオルグ内陣には14世紀前半に作られた内陣座席がある。またクリプタ(地下聖堂)はこの大聖堂で最も古い部分。逆に西側の内陣であるペーター内陣は初期ゴシック様式となっている。こちらにある内陣座席は14世紀後半のものである。教会の構造を見ると、教会は3身廊からなるバジリカで2つの内陣があり、その2つの内陣がそれぞれ2本の塔を持っている。言ってみれば2つの教会がくっついたといった感じだろうか。
教会内、内陣別に見てみると東側のゲオルグ内陣の下にはティルマン・リーメンシュナイダーがゾルンホーフェンの石灰岩を使って1499年から14年かけて制作した等身大の皇帝ハインリヒ2世とその妃クニグンデの彫られた石棺がある。その側面には彼らにまつわる話しが彫られてある。一方西側のペーター内陣の方には大司教席の後部に教皇クレメンス2世の棺(1230年頃の作)がある。これはヴァチカン教皇庁によって認められたアルプス以北にある唯一の教皇の棺である。また内陣に一番近い柱には有名なバンベルク司教であったフリードリヒ・フォン・ホーエンローエの墓石がある。
またペーター内陣側にはニュルンベルクの有名な彫刻家であったファイト・シュトース作の祭壇がある(1520-23年作)。これは元々ニュルンベルクのカルメル修道教会のために作られたものだが、祭壇が完成した時には、宗教改革の影響で、もはやカルメル修道教会が存在しなくなっていたので、バンベルクの大聖堂に持ち込まれたというものである。
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